ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『ヤイヤイ森のコミー』松本慶祐【45夜目】


好きな作品のことばかり書いていればいいから、このブログは楽ちんだ。ちょっと不公平な気もするので、ぼくが苦手なジャンルの話もする。一番積極的に見ないのは、いわゆるショートギャグだ。面白いものは本当に面白いけれど、正直苦手に感じる作品も多い。昔でいうとマネキン一家のやつとか、ブラじゃないやつとか、最近だとTOHOシネマズに行っても109シネマズに行っても見せられるあれとか……。単に笑いどころがわからないだけじゃなく、「低コストの会話劇で人の心をつかむ」という方向性自体が自分の作品と似ているから、ぶっちゃけ仮想敵だと思っていた時期すらあったのだ*1

そんな中で、数少ない例外のひとりが、松本慶祐だ。

松本の自主制作作品『ヤイヤイ森のコミー』は、うさぎの姿をしたコミー君が、毎話「森のなかまたち」とコントを繰り広げる作品。何がほかと違うんだろう? わからないけれど、他の作品よりもどこかがスマートで、ずっと作り込みが細かくて、そして脚本が面白い。『オー!マイキー』よりも愛らしく、『GOLDEN EGGS』よりもツッコミが鋭く、『紙兎ロペ』よりもずっと上品なのだ。たぶんだけれど、この「“何か”いい」の正体は、もしかすると“心地よさ”なのではないか。耳に飛び込まない丸められた音質、環境音、リズミカルに重ねられた単語が、まるで音楽のようにすら感じられるのだ。グイグイこっちにやっては来ない謙虚さ? こちらが聞き耳を立ててる感じ? とかもあるし。うーん、まとまらない……。ちなみにこの会話劇は、全てフレーズごとにばらばらに音声を収録し、編集で重ねているという(ご本人から伺いました)。つまり、松本作品、アドリブはゼロなのだ。そこにも秘密があるような気がする。

また、(意外と語られることが少ないように思うけれど)松本は絵が非常にうまい作家だ。いいデザインだな、とジックリ見ちゃう愛らしいキャラクターもさることながら、特に背景美術が巧みだ。しっかりと細部まで描き込まれているし、色使いも本当に素晴らしい。植草航の『やさしいマーチ』の背景を描いているのも、松本だという。


おすすめは5話と12話。オーグッボーイグッボ~イ。この言葉のセンス、ツッコミの面白さ、シニカルさの中にある愛らしさが、存分に生かされているエピソードだと思う。9話の高熱でぼんやりしたコミー君も可愛らしい。

この『ヤイヤイ森のコミー』も十分いけてるけれど、もし今から見るなら、明日紹介する作品のほうがいいかもしれない。これよりもさらにさらに、そして圧倒的に、面白いので。

*1:けれど、後に『Peeping Life』のプロデューサーと一緒に『旅街レイトショー』を作ったりすることになるのだから、ほんと人生ってわからない。

『5iVE STAR』2501×森井ケンシロウ【44夜目】


歴史的傑作『日本橋高架下R計画』で、アニメーションとモーショングラフィックスの境界線を突破し、現在まで続くカルチャーを作り出した細金卓矢。彼のその原点と言えるのが、まだ彼が2ちゃんねるFLASH・動画板のコテハン「2501」だった頃に制作された、この作品だ。同じくFLASH・動画板に出入りしていた、当時はFLASHアニメーション作家だった森井ケンシロウ(現在は漫画家としても活躍)とタッグを組んだもので、その頃はこうしてモーショングラフィックス作家とストーリーアニメーション作家(下らない……)がコラボすること自体、かなり新しいものに感じられたものだ。

ワクワクするような冒頭。プラグが刺さった瞬間の圧倒的な幸福感。まるで砂場で遊んでいるみたいに、唐突かつ暴力的に差し込まれるアニメーション! 平面的なことが当たり前だったFLASHアニメに有機的な暖かみを加え、それまでのどの「モーショングラフィックス」にも無かったキュートなポップさを持ち合わせていた作品だった。正直、周囲のどのMGよりも圧倒的なずば抜けぶりだったと思う。最後に訪れる、風のような疾走感は特にたまらない。鼻の奥がツンとするようだった。

当時、矢印がぎゅーんって動くことが「モーショングラフィックス」のお約束の一つだったんだけれど、それをこうして一枚一枚、まるで龍のように生き生きと描き出してみせたことも衝撃だった。2501は何歩も先を行っている……。そう感じさせざるを得なかったものだ。

この『5iVE STAR』は本人たちの手で一度リメイクがされていて、クレジットはその頃より「2501」から「Takuya Hosogane」に修正された。ちなみに2501時代の作品まで遡り始めると、本当にキリがなくなるので今は止めておく……。500か600くらい行った時に、FLASH作品はまとめて一気に取り扱うつもりです。1、2年くらい先のことだろうけれど……。

『Madrix』細金卓矢【43夜目】

お題を与えられ、そこから8時間で新作映像をひとつ作る……『Cut and Paste Tokyo 2009』というトーナメント・イベントに、細金が出展した作品。超短距離走で制作されているからか、細金の持ち味であるポップセンスが存分に生かされたものになっている。細金は本作で、大会に優勝した。

彼の(当時の)得意技だった記号的なヴィジュアル、ビビッドなカラーリング、テンポの早い展開は出色だ。……とは言っても、やはり何よりもユニークなのが、一体どうやって思いついたのかはサッパリ判らないが、家の「間取り図」をモチーフとして取り入れていることだ。我々が安い紙に印刷されたもので見たことがあるような……平凡な家々の間取り図が生き物のように動き、変形し、増殖してゆく。まるで見たことがない映像になっていた。抽象的なのに、とても具象的……。細金の強みである「発想力」が、特に感じられる作品だろう。

この1本が契機となり、細金はテレビアニメ『四畳半神話大系』のエンディング映像を依頼されることとなる。本作『Madrix』を発展させたような作品になっているので、こちらも併せて観賞してみて欲しい。

『Vanishing Point』細金卓矢【42夜目】

モーショングラフィックスの雄、細金卓矢の個人作品。驚くなかれ。本作の発表は2010年だ。正方形の画角、有機的なカラーリング、3DツールにはCinema 4Dが取り入れられ……(繰り返すが、7年前である!)。当時これを観た時は、細金の他の作品と比べるとやや難解というか、少々アカデミックすぎて、あんまりキャッチーではないな……と思った記憶がある。それがどれだけ間違いだったのかということだろう。5年先、8年先に「最先端」とされるヴィジュアルを、細金はこの頃から予期していたのだ。

平面的で、記号的なものをとにかくがむしゃらに動かし尽くす……。モーショングラフィックスには、当時の「流儀」にも似たカルチャーがあって、そこからいかに新しい表現を生み出すか、誰もが競うように試行錯誤していたように思う。細金の作品は、何か、そこから「有機的」なものを作り出そうとしていた印象がある。直線よりも曲線。平面よりも奥行き。記号よりも、生命……。

彼が「有機的」の北限のような、深夜アニメ的なカルチャーの作品へ(結果的に)接近してゆくことになったのも、なんとなく流れを感じさせるものがある。彼はこののち、『日本橋高架下R計画』で、それらすべてのカルチャーを接着させることに成功することになる。

『日本橋高架下R計画』細金卓矢【41夜目】

GIFアニメーションのカルチャーが「WEB系アニメーター」を生み、2ちゃんねるFLASH・動画板が「PV系」……のちの「MG系」と呼ばれるモーショングラフィックスのカルチャーを育て、After Effectがアマチュアクリエイターにも浸透し、ニコニコ動画Vocaloidを発掘して、Tumblrがまったく新しいウェブジャンキーたちを生み出して……。2000年以降、ウェブのカルチャーに起きた変化の、その全てが濁流のように流れ込み、突如として生まれた歴史的傑作ミュージック・ビデオが、これだ。音への天才的な感性、そして抜群のポップさで一目置かれていた細金卓矢がそのセンスをまざまざと見せつけ、優れた「動かしまくり」のWEB系アニメーターは惜しげもなく腕をふるい、ボカロをカルト的人気にまで押し上げたじん(『カゲロウプロジェクト』を生んだ人物)が、最先端のVocaloidだったIAを使い楽曲提供をしている。

3秒〜5秒で次々に展開する「驚きに満ちた」カットの数々。そのどれもが、ワンカット切り抜いてもbuzzに耐えうる強度を持ち合わせている。全体的に、音楽ともよく合った、決して声高ではない景色の描かれ方……平熱感、涼しさがあって、正に2010年代の若者の「カッコ良さ」をここで定義しているとすら思う。女の子の可愛らしさ、時々みせるフェチっぽさは極めて日常的な風景の中で消化され、「今」っぽいアイドルのセンスを嫌味なく昇華させている。色彩設計も素晴らしい。何より作品がとてもリズミカルで魅力的だ。何度でも何度でも観たくなってしまうのだ。この1分19秒に込められた情報量、センス、そしてウェブカルチャー全てを飲み込んだ上で蒸留させたような新・「定義」に、くらくらするほど酔わせてもらえたものだ。

絵コンテは見富拓哉。本職は漫画家・イラストレーターで、細金と共に、本格的なアニメーション挑戦は初めてだった。25歳の若者が知恵を絞ったこのミュージック・ビデオは、紛れも無く我が国のサブカルチャーの転換点だった。これらのアニメのカットは裁断され、当初からTumblrでもカットごとにリブログ出来るように仕掛けられていた。発表は、2012年春。今見ても、この作品が及ぼした影響力のあまりの大きさに、そして先見の明に、驚かされてしまう。絶対に見ておくべき作品。

『ほかほかおでんのうた』細金卓矢&山下清悟【40夜目】

モーショングラフィックスはまったく専門分野ではないので、より詳しい方が丁寧に説明してくださることはきっとあると思うけれど……。ここ数年で、抽象絵画のようなアプローチがメインストリームだったモーショングラフィックスに、急激に具象的なアニメーションの流れが持ち込まれるようになってきた。この映像は2012年の作品だけれど、このあたりでその傾向が決まってきたような気がする。

ローソンのおでんのCMとして制作された『ほかほかおでんのうた』。「WEB系」アニメーターで知られた人物のひとり、山下清悟と、日本で最も有名なモーショングラフィックスの作り手である、細金卓矢がタッグを組んだ作品。昨日まで紹介していたらっパルも、絵コンテで参加している。ロトスコープのようなゆらゆらの動き、湯気、そしてシズル感のあるアニメートがたまらない。音楽も可愛らしいけれど、この音楽の「感じ」を最大限に引き出す、とてもミニマムな演出プランというか、作品の方向性のゆるさが、実に鋭いと感じさせられる。この辺りの配分は、細金卓矢の腕の力が大きいだろう。

細金卓矢は「2501」名義で、かつて2ちゃんねるFLASH・動画板に出入りしていた「FLASH職人」だった。彼が特別たる所以について、あえてフィルモグラフィを遡る形で紹介してゆく。

『カナメヲ』らっパル【39夜目】

いわゆる「WEB系アニメーター」であり、特にエフェクトアニメで世に知られるようになった早熟の天才・らっパルが、2015年に突如発表した短編作品。その内容は、彼のこれまでのフィルモグラフィと連続性がありながらも、想像を絶するほどの圧倒的な飛躍を遂げた、戦慄を覚える出来に仕上がっていた。

この中には、多くの示唆がある。物語のヒントはあちこちに散りばめられている。けれど圧倒的な筆力で描き出され、視聴者の網膜に焼き付けるのは……この子って何なんだろう?どういう存在なんだろう?一体ここで何が起きているんだろう……そういう疑問も当然頭をよぎるのに、見届けてゆくうちに自然とそれも消えていって、最後には、ただのシーンの羅列にまで解体されてゆく。ワンシーン、ワンシーンごとそのすべてに、あまりにも切実でまぶしい、生きていこうとするものたちの生活の風景がある。不思議な出会いも、滅入るほどに薄暗い部屋の中も、すべてが残酷なほどに並列した、爆発しそうなくらい平凡な「日常」だ。音楽のノイズはフィルムが進むにつれ激しく、ますます掻き毟られるように奏でられてゆく。次々に「刹那」が紡がれてゆく……落雷、雨、神木、煙、水、雪、そして快感。夜空に星がいまも光り続け、遠くで火薬が炸裂し、仕事を終えて家の扉を開けるたびに、そこにあなたがいることすらも……全てが確かなものではない。いつだってそうなのだ。わたしたちは消えてしまう運命に勘づきながら、食べて、寝て、起きて、排泄して、仕事に行って、たばこを吸って、薬を飲んで、バッティングセンターに行って、愛し合って、そして死んでゆく。このたった5分間には、家で思わず叫び声を上げてしまいそうになる、まだ言葉になおらない、息が苦しくなるほどの焦燥感と、目を細めるほどのまぶしさがあるのだ。あまりにも特別で、衝撃的で、そして衝動的な、傑作だ。

ワンシーンごとの見栄えの見事さは勿論だけれど、残酷なほどに生々しく、そして切実な詩情が全編に散りばめられていることが抜群に素晴らしい。作者は、自分のこういう感性を、もっと信じていいんじゃないかな、と思う。同時期にリリースされた『東京コスモ』や『纏の国のガルダ』とあわせて、『フミコの告白』以来凍り付いていた若い感性のオリジナル・アニメーションが、とうとう再び鼓動を打った金字塔だろう。多くの若者にとっての、ヴァイブルになるべき作品。

ついでにいうと、「天気予報」が出てくるアニメは、基本的に、名作です。

『プレゼントまでの道のり』らっパル【38夜目】


根っからのインターネット・ネイティヴであり、「WEB系アニメーター」に影響を受け、小学生か中学生か……という超早熟な段階から(自分も小学生からだけど)作品数を重ねたらっパル。ストーリー性はどちらかというと希薄なほうで、とにかく動かしまくり、派手なエフェクト描きまくり、というイメージがあるかもしれない。それは彼のフィルモグラフィからすれば半分正解なのだが……例えば彼が高校生のときに作った作品には、こんなのがある。

基本的にはいわゆる「チャンバラアニメ」なのだが、それ以上にらっパルが「やりたいこと」がちゃんと伝わってくるものになっている。キマシタワー。高校生までしか応募できないアニメコンペだった「アニメ甲子園」応募作品とあるが、これは当時かなり目立ったのではないか……。

これをわざわざ今ここで紹介したのは、明日取り上げる傑作中の傑作と、連続性がある作品だからだ。

『SPACE SHOWER TV 「アニソン日本」』らっパル【37夜目】

いわゆる「WEB系」アニメーターと呼ばれる人々がいる。テレビアニメなどの商業アニメーションを手がける原画マンは、通常、まずスタジオに採用され、現場に動画マンとして放り込まれる。そこで何年も下積みをし、キャリアアップしていく……。そんな数十年の伝統を打ち破ったのが、「WEB系」アニメーターの登場だ。自分のサイトや投稿サイト、2ちゃんねる等のスレッドに自分のGIFアニメーションを投稿し、時には「作品」とよべる長さのアニメーションも発表。そこからテレビの現場に直接スカウトされ、基本的にはいきなり原画デビュー……! より厳密にいうと、いろいろ違いがあるみたいだけれど、そんな新しい流れが現れたのは、僕のちん毛がちょうど生え揃い始めたころ……2000年代初頭になってからだ。

特徴的(らしい)のが、他の「普通の」テレビアニメ的原画と違い、とにかく派手に動かすことが好きなアニメーターが多いこと。仕事ではなく、自分の好きなように……かっこいいように動きを作ってゆく経験から入っているから、結果的にかなり派手なアクションやエフェクトを描くことが、好きなひとが多くなる傾向にあるみたい。もちろん、一概には言えないようなのですが。

そうした「すごい人たち」の「GIF」アニメに影響を受け、趣味の延長からやがてテレビアニメでもキャリアを積んでゆくようになる……。昭和ラスト世代の自分にとっては、それはネット上でリアルタイムに見てきた、正にドンピシャの景色だった。「WEB系アニメーターに影響を受けたWEB系アニメーター」は自分の同い年にもたくさんいる。彼らはスタジオに入っていたり、あるいは在宅で仕事をこなしている。TwitterのDMで連絡を取り合うということも、しばしばらしい。

そして、そんな「GIF」アニメの世界に、恐ろしいほどに幼い頃から触れてきた作家……(長くなってしまった!)らっパルも、その中の一人だ。僕よりもさらに下の世代にあたるらっパルは、中学生の頃からYouTubeに作品を投稿し、アフターエフェクトを使いこなし、当たり前のようにデジタルツールに触れた「新時代」の人。らっパルは商業作品の原画もこなすが、このように、広告案件などで丸ごとディレクションする作品が目立つ。そのどれもが完成度も高く、映像の快感がバーンと貫かれているものだ。ド派手なエフェクト、動かしまくりのアニメーション! かつて幼い頃、すごーい、とCRTモニタを見上げたあの「感じ」のアニメーションは今、サブカルチャーのど真ん中で、花開いている。

『FRENZ 2015 二日目深夜の部オープニング -TAKE OFF-』機能美p【36夜目】

機能美pは現在、年に一度行われる上映会、FRENZを中心に新作を発表している。新宿ロフト・プラスワンを二日間に渡り借り切って行われるこのイベントは、間違いなく「日本一熱狂的な映像上映イベント」だ。観客のテンションの高さ、一方での礼儀の良さ、上映の度に巻き起こる万雷の拍手、そして作家たちへのリスペクト、ホスピタリティ。……どれをとっても最高だ。FRENZでは毎回、人気作家を指名して各部の「オープニング映像」を制作している。毎度毎度イベントを熱狂に包んで来た機能美pは、FRENZ2015でオープニング映像監督に初指名。その作風を存分に生かし、なんと15分間もの(!)オープニング映像を作って来た。それが、これだ。

会場全体を「飛行機」に見立てた、というテンション爆上げなアイデアもさることながら、まるで会場を支配するような手拍子・掛け声の煽り、ひとつひとつの気持ちの上げ方、どれをとっても血がたぎるような興奮がある。音楽も実に素晴らしい。これを今見るだけでもけっこう鼻血が出そうになるのに、本番の会場では本当に、とてつもない熱狂(FRENZY)に包まれた作品だった。後半では一転して『Clade over 〔クレード オーバー〕』を彷彿とさせるグラフィック中心のアニメートで魅せ、さらに『月は無慈悲な寄席の女王』のような言葉の力で、幾多のNOやボツを乗り越え、闇の向こうから送り出されて来た作品たちを敬意を込めて紹介してゆく。カッと胸が熱くなるような演出だった。FRENZというイベントに初年度から参加していた機能美pの、そのすべての経験が生かされたかのような作品だった。

たった一度の上映に焦点が当てられたものなので、若干の内輪ネタや、少々古くなった時事ネタも含まれている。そこに目を瞑ってもらえれば、ワオ、と思っていただける作品なのではないか。とはいえいくつかの時事ネタは、今も古びていないけれど……。今見ても笑っちゃったよ。「乗っ取られてますよ!」。