ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『ウツのウミ』山田園子【17夜目】

昨日紹介した作品と、あした紹介する作品から比較すれば、やや初期っぽさを感じさせる山田園子のフィルムのひとつ。優れた才覚を持つ作家は、「感情」を届けようとする、という所に一つの共通点があると思う。圧倒的なグラフィックでも、声高で暑苦しいメッセージでもなく、とてもシンプルな「感情」、そこに力点を置く重要性を最初から判っているというか……。

繊細でやさしい、そして丁寧なグラフィック、真心のあるアニメート、非常に作家性を感じさせる環境音へのこだわり。けれど結局最後に残るのは、こういう心の冒険をした、相手とまた会話もしていないのに自分の中だけで語り合って、そしてどこかで通じ合ったような、そんな気持ちにさせてくれた、その「感情」の旅路……なのではと思うのだ。一番、みんながアニメーションを作っていた時代なので、これも埋もれてしまったのかもしれないけれど、やっぱり優れた作家性のある作品は強度が違うなぁ、と思います。

『bridge』山田園子【16夜目】

前の記事に続き(また?)、音楽とそのメッセージが素晴らしいショートアニメーションが、これ。もうめちゃくちゃ、もう、めちゃくちゃ大好きなんですよ……。出会ったのはもう6年以上前、『こわくない。』を何かの専門学校のコンテストに出して、その公開講評か何かで色んな作品が流れていた中の、そのひとつに入っていたのだ。何年も経ってから、YouTubeで再会できた日に、ぼろぼろ涙が出たことも忘れられない……。

気がつけば、わたしは崖の前にいる。その向こうに次の大地があって、そこには美しい黄色い花が咲いている。横を見れば違う誰かがいて、自分ひとりが渡るための「橋」を一心不乱に作っている。まるで真似をするように、わたしも土を集めて、水をすくって、金槌を振るい、汗を流しながら無我夢中で「向う側」への橋を架けようとする。一心不乱に。ただ一心不乱に。何の支えもないその「橋」は、重みに耐えかねて、周りの命たちと共に次々と崖の下へと落ちて行く。ぎゅっと目をつぶって、わたしはそれでも願うように、祈るように、金槌を振るい続ける。けれど次の瞬間、わたしの「橋」にはヒビが入って、わたしもまた奈落の底へ――。

自分の一生のすべてを懸けた、その橋がたとえ届かなくても、人はいつまでもひとりぼっちの洞窟には篭っていられない。どこに逃げてもわたしはここにいる。たったひとりでここにいる。もう夢が叶わない、その緑の大地を、わたしは思いきり走り抜けて――

こうやって書いてて、ほんとに涙が溢れてくる。こういうものが作りたかったんだよ、結局、僕は。菅井宏美による音楽もいい。「一つの私」、iTunes Storeで買っちゃったもんね……。

作者の山田園子は、この他にも素晴らしい作品を残している。

『JACK NICOLSON』イシバシミツユキ×長田悠幸【15夜目】

前の記事に続き、ところでブッチャーズといえばもうこれ! これですよね!! という作品。こちらはbloodthirsty butchersの公式MVで、漫画家の長田と映像作家のイシバシがタッグを組んで(どういう分担だったかは判らないけど)作られた名作。何とイシバシのアカウントから公式アップされていたぞ!やった!

音楽そのものの男臭さにぴったり寄り添ったグラフィック、その止め絵のカッコよさにシビれまくって、そして主人公はうだつの上がらないサラリーマンで、最後にはまた街の中に戻っていって……。まるでギターのパワーコードをジャカジャーンと掻き鳴らすような快感が全体に貫かれている快作だ。アニメーションならではの魔法ってなーんだ、って、アホが*1散々聞いてくるその問いかけへの、ベストアンサーの一つに選べるくらいの作品だと思う。

フリクリ』感もあるそのジャパンチックな絵柄はキャッチーだし、見せ場でアニメーションの快感を(ライブ会場でカメラが回るカットは、実写では絶対に撮れない……)しっかり見せてくれるところも、コンパクトな尺に感動がグッと詰まっているところも、実に実に素晴らしい。何より音楽のもつメッセージの、昇華のさせ方にしびれる。名作は往々にしてシンプルだ。そしてマヌケで、美しいんだ。こういう作品を埋めさせたくないのですよ……ほんとに……。

*1:僕もその中の一人だけど!

『banging the drum』(作者不詳)【14夜目】

前の記事に続き、こちらも完全に作者不詳の作品。bloodthirsty butchersの楽曲『banging the drum』にアニメをつけた作品なんだけれど、これも無性に大好きで……。とてもミニマムなアニメーションなんだけれど、やたらドラムが正確かつ丁寧に描写されていること、そもそも「音楽を聴く」ってどういうことか、をまさに言い当てたようなコンセプトに、何度でも心掻き毟られる。キャラクターも可愛らしい。一体どなたなんでしょう。コメント欄で「僕が昔作ったアニメですw」とかさらっと書かれていて超気になる……。藤田純平の『seasons』(2005年)感があるから多分そのすぐ後くらいに作られているのではと推測するけれど……(この楽曲の発表も2005年)。

最後、目を開けるところが本当に好き。目を開けると、彼女の周りに確かに寄り添っていた、そのいきものたちは消えてしまっているとしても。それでも。

『さよならをしること』(作者不詳)【13夜目】

長らくこうして色々作品を見ていると、「コンテストに応募されておらず、グループ展の情報もなく、作者のホームページもなく、SNSなんて普及するはるか前」であるが故に、作品だけがポーンとネットに上げられているが作者名すらよくわからないような作品と出会ったりする。これもその一つ。油画調で描かれたグラフィックの上にさらに厚塗りを重ねてゆく手法(ぬQさんと一緒ですね)で、ひとりの少年がその夏に出会い、そして別れるまでの命の旅路をファンタジックに描いている作品。特に後半の、風が吹いて光満ちてゆく様は圧巻で、心震えるほどの迫力がある。せつない……。ずいぶん経っても、時々思い出したように見たくなる作品。けれど作者が完全に不詳で、<3年前学生の時制作したアニメです>としか説明文にも書かれていない。たしか当時調べたら、多摩美かどっかの学生さんだったことまでは突き止めた記憶があるんだけれど……。うーん。

音楽もいい。とても丁寧に、真摯にモチーフ(やテーマ)と向き合いながら作られた作品だと思う。どこかに応募していればよかったのに(してたのかもだけど)。きっと、大スクリーンで映えたはずだ。

『魚に似た唄』竹内泰人【12夜目】

竹を割ったようようなポップさが特徴である竹内(さん)のフィルモグラフィーの中では、もしかするとちょっと珍しめかもしれない、やや内向的な印象のある作品。空き家の六畳部屋に全長2メートル以上もある巨大な人形を作ってコマ撮りした映像はインパクトがあるし、その後、ちょっと不穏な空気を漂わせて鑑賞者をギョッと(魚っと……)させたあと、また部屋全体を使った豊かなアニメーションを楽しませてくれるのもいい。雨の表現が素敵だ。こういう作風のほうが好きです、という人も、もちろんいると思う。

この作品から十年ほど経った2015年。藝大院の卒制でこれと似た技術が使われたコマ撮りアニメーションがあって、そちらもすごく良かった。坂上直の『その家の名前』という作品で、こちらはもう使われていない空き家を丸ごとぶっ壊しながら撮影されたもので、とんでもないインパクトがあった。その年のイメージフォーラム・フェスティバルで大賞をとったらしい。こちらも観る機会があればぜひオススメしたい。

『オオカミとブタ』竹内泰人【11夜目】

日本人の手による「自主制作アニメーション」の、YouTube再生記録ってどの作品だか知ってます? 実は長らく、この作品が日本人トップだと僕は思っていた。現時点でも、何と390万再生。『フミコの告白』が400万再生を突破しこの作品を抜いたのは、実はごく最近のことなのだ(岡田拓也の『CHILDREN』は480万再生で、『オオカミとブタ』はこれも上回っていた時期があった)。……後になって、ていえぬの『CHAINSAW MAID』が660万再生もあったことを、人から教えてもらって驚愕するんだけど。

その後のコマーシャル業界にすら大きな影響を与えることになる「コマ撮りの中のコマ撮り」アイデアは秀逸だし(最初ではないのかな)、何よりとても親しみやすいポップさがある。アニメーションの古き良き基本構成のひとつである「ネコとネズミ」をしっかり踏襲したわかりやすいストーリーで、カルチャーも国籍も越えてちゃんと届くものになっているのは、計画的だったのかな。何しろこういう作品って、素人でも見ていればだいたいこの映像の作り方がわかるわけで、「よく作ったねえ」みたいな共感度もまた、作品の印象にプラスになる。「作った人、すごい!どうやったかわからない!」が一種のステータスになる(なってた時期があった)自主制作アニメーションの世界で、この作品はまたその一つの呪いを解いているようにも感じるのだ。

誰に見せても「かわいい!」ってなる、こういうの。恨めしき“猫動画”じゃなくても、ちゃんとこっちに反撃する術は用意されているなぁ、って、思います。

『ぐるぐるの性的衝動』竹内泰人【10夜目】

「性的興奮を憶えるくらい和音が好き」。僕が生涯で一番尊敬しているアーティスト、BUMP OF CHICKEN藤原基央がインタビューで言っていたことだ。理屈も屁理屈も越えて、ただただヤりたくてしょうがない。とにかくキモチイイんだから仕方ない。たとえそれが、自分以外には理解されないとしても。時々誰かが「バカだねぇ」って、半ば呆れつつ笑ってくれるなら、それもそれでちょっと悪くないけれど……。衝動だとか、ロックンロールだとか、色んな言い方が出来るかもしれないけれど、藤原が言っていたこの「性的」という表現は、なんとなく自分にはぴったりとはまって、ぐっと来るものがあったのだ。

だから、この作品のタイトルは、本当に好きだ。

どんなモノ好きが、朝から晩まで24時間も公園に張り付いて1分ごとに写真を撮ったりするのだろう。しかも、ちょっとづつ動きながらだよ!? 狂気の沙汰としか思えない。空間の選択も決して選び抜かれているとは言えないだろう。たぶんこの公園とかも単に作者んちの近所にあって、「なんとなくグッと来てたんですよね~」程度のものなのだろう。一方で非常に丁寧なのが、手ブレしている1枚1枚のシーケンスをちゃんと繋がって見えるように1コマづつ修正していることだ。この作品では、それも鑑賞者に観てい判るようになっている。その手間をわざわざ人に見せているのだ。だから、この作品が描こうとしているのは、単なるタイムラプスじゃない。美しい風景でも、生活の営みでもない。正に、これを「やらざる終えない」ような、そんな作者のどうしようもないほどにパワフルな「性的衝動」そのものなのだろう。

とても、とても正しく、アーティスティックな初期衝動に満ちた作品だ。この作品の発表当時はコンテスト全盛期。どんな学生も1本作っては、複数のコンペティションやテレビ番組へ絨毯爆撃するように応募していた。この「ぐるぐるの性的衝動」は学生CGコンテストと国際ニコニコ映画祭という、かなり毛色が異なるコンテストで同時受賞を果たす。これだよ、これ。と今でも思うことがある。自分のホームポジションみたいな作品のひとつなのだ。忘れてはいけないクリエイティブの「性的興奮」、「性的衝動」が、この作品には確かに記録されているから。

『デスメタルさやかと仏滅』irodori【9夜目】

毎月必ず、なにかしらの新作映像をニコニコのアカウントにアップし続ける。その途方もないirodoriの試みは、商業作品を手がけていようが、何をしていようが、時々更新日をズラして危ない橋を渡ろうが、とにかく続けられていた。最後のころの動画コメント数は5〜6くらいにまで減っていた。そんな少人数なわたしたちを、「今月もようこそ、ようこそ!」と出迎えてくれていたのが、さやかと仏滅だ。

時に自身のサークルすらも茶化しながら、鑑賞者とコミュニケーションを取ろうとし続けていたふたり。さやか的なキャラクターはたつき(さん)得意のひとつで、わりかしスルッと書けるキャラクターだったのではと思う。こちらは商業大変そうだな〜と思いつつも、それでも「また今月も上がったぜ!」って労いたいような、そんなコミュニケーションが成立していたような気がする。ほんとうに凄い。どうしたらそんなポテンシャルがあるのだろう……。irodoriというチームの、実はいちばん凄いところだと思っていた。こんなに勤勉(?)なアニメーション作家、ぶっちゃけ、他に知らない。

2016年12月。100本目の「毎月更新」アニメーションが投稿され、この試みは堂々完結を迎える。2008年9月から、足かけ8年4ヶ月(ちょうど100ヶ月!)が経っていた。ひとつの時代が終わり、年が変わった2017年1月。まるで入れ替わるように、irodoriチームの初監督作品『けものフレンズ』の放送がスタートする。……新海誠ほしのこえ』以来とすら言える“奇跡”が、静かに始まった瞬間だった。

『駅長さん』irodori【8夜目】

irodori作品の面白い共通点は、実はどの物語にも「神さま」の要素があることだ。『眼鏡』の狂気じみたメガネ信仰、『ケムリクサ』で示唆される世界を動かす(主人公たちを消そうとしている)存在、『らすとおんみょう』のそのものズバリな陰陽師バトル、そして『たれまゆ』のやわらかな神格の表現。そう見て行くと、『駅長さん』ってすごくirodoriのドンピシャ部分を描いている作品だ。ある意味、過去のどの作品よりも抽象的な内容で、これまで非常に丁寧に設計されていた「観る人」への具体的な物語の提示が、やわらかくも、しかし明確に拒絶されている。遠い高い雲の上で、何かのための線路を引き、何かに敬礼を受けながら、夕闇の中に姿を消してゆく駅長さん……。彼女(彼?)はまるで、過去のirodori作品でもどこかで意識されていたような、そんな「ヤオヨロズ」の神さまみたいだ。この短い物語で届けようとしている手触りは、たぶん、その日その日を生きる中でわたしたちを円滑に動かそうとしてくれているような「なにか」、そんな存在なんじゃないかな。

irodoriが目標として立てていたグラフィック表現も、ここに一種達成されているように感じる。毎月更新バージョンからかなり手が加えられているのもちょっと珍しい。コストの高い『らすとおんみょう』を中断させる形で完結まで持っていった『駅長さん』は、irodori毎月更新で発表された最後の作品となった。