ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『ケムリクサ』irodori【7夜目】

人類が荒廃したかも? しれない世界、そこに「人間」が紛れ込む! ……あ、『けものフレンズ』のあらすじじゃありませんよ。これです、これ。

irodori第三作目。またしても作風は驚くべき大変革を遂げた。女の子に突き刺さる刃! しかし女の子はそれを何ともせずに高笑いし、反撃する——。ニコニコに当初投稿された、『ケムリクサ』の冒頭部分だ。ドタバタエンタテインメント、叙情的なほっこりジャパニメーション、そして続く第三作目は、まさかのシリアスなSFバトルアクションだった。

この作品、男の子が出てくるまでがちょっと長いんだけれど……彼の出現で物語は動き出し、ひとりで全てを背負っていた、凛の心は溶かされる。彼は彼女にとっての、「役立たず」の希望となる。物語は解決しない。とにかく先に進むしかない。世界に立ち向かうには、あまりにも絶望的なストーリーの、そのラストカットは、それでも彼女たちの掌の上に、新しい地図が書き加えられるというものだ。何が待ち受けているのかもわからない。「けれど、それでも」——。この、ささやかで、けれど「進めば次がある」ことを信じている、そんな燃え上がるような希望。「でも、やるんだよ!」というクライマックスは、何だかこの当時のirodoriとも重なる。

まるで『眼鏡』と『たれまゆ』の中間地点を目指されたような、2Dと3Dの交差点のようなグラフィック表現も出色。この作品の完結から1年後、irodoriチームが映像部分を手がけるテレビアニメ『てさぐれ!部活もの』シリーズの放送がスタートする。

『たれまゆ』irodori【6夜目】

そりゃもう、ビックリした。『眼鏡』に続くirodoriの第2弾作品は、作画中心の2D作品だったからだ。セリフもなく、叙情的で、4分間でちょっと心がホッとなるような小作。『眼鏡』とは正反対のアプローチだった。

シナリオがしっかり作られているのが見事な作品で、最初の30秒でまずは女の子のことを好きになってもらって、見せ場のシーンがあって、後半ではその子が背負うものを見せて、それを意外なキャラクターに救わせる……、王道のストーリーラインがちゃんと組み立てられていた。内容も、重くなりすぎず、最後にはちゃんと夏雲の爽やかな印象を残して消えてゆく。バッチリだな、と思う。

想像だけれど、たぶんたつき(さん)は、意図的に「ハードルが高い」企画をあえて選んだのだと思う。『眼鏡』は当時のニコニコ動画ランキングを制覇したし、アプローチとしての目論見はいきなり当たっていた。だからこそ次は、チームとしてどこまで行けるか、その試金石としてこの内容を選んだのではないか。

「次回作そのものに、チームとしての次の課題を掲げ、制作することでそれを乗り越える」というたつきのプロデュース・ワークの方向性は、その後の作品を見ていても、よくわかる。

……タイトルだけ、なんつうか、仮であててたものがそのまま通っちゃったような感じで、ちょっとむずがゆい。「次のヒロイン、『たれまゆ』で行くから!」。

『眼鏡』irodori【5夜目】

irodoriがユニークだったのは、スタート当初から「バンドです(チームです)」と銘打っていたことだ。ひとりで作ることが一種のステータスだった自主制作アニメーションに、チーム制作での効率化と化学反応を持ち込もうとした。これは伝聞なので間違っていたら申し訳ないけれど、確か最初はゲーム頒布のサークルからスタートしたと聞いている。だからだったのかな。

2008年に毎月20日投稿をスタート。『眼鏡』は第一弾作品で、投稿当初からは約一年ほどで完結している(計画的だ!)。その後のフィルモグラフィーから比較しても、『眼鏡』は圧倒的に観る人を「楽しませよう」とする魅力や工夫がいっぱいで、盛り込まれている小ネタもめちゃくちゃ面白いし、当時の流行も貪欲に取り入れていて、すごく「ニコニコ動画」という場をわかっている(理解しようとしている)感じが見事だった。コメントの反応で、ここは拾ってくれる! と信じて作られている感じがする。作品としても、最初の主人公のセリフから気合が入りまくっているし*1、その後のボーイ・ミーツ・ガールの王道シーン、序盤の見せ場の作り方まで本当によく仕上げられている。第一話の早い段階から、ちゃんとオチの伏線(主人公が◯◯の時、どうなるか)が張られているのがにくい。CGアニメコンテストの上映会でその部分に気がついて、ひええ! ってなったことをよく覚えている。

『眼鏡』は、DVDを手作りして、同人誌即売会に早くから持ち込んでいたことにも個人的に大いに刺激を受けた。コミティアで、のぼりを立てるポールはどこに売っているんですか、って尋ねたのが、たぶんirodoriさんとのリアルでのファーストコンタクトだったと思う。

*1:<「純粋、純白、純粋、純情、純潔! とにかく、ココロがハァ・ハァする眼鏡!」>。リズミカルできもちいい!

『nakedyouth』宍戸幸次郎【4夜目】

ぼくが、日本学生アニメーション史上最高傑作だと思っている作品。忘れもしない……東京都写真美術館の地下一階、学生CGコンテストの受賞作品展で、狭いシアターの中、隣の人と膝をくっつけあって、この作品と出会った日のことが今も忘れられない。ファーストカットの緑から圧倒的なアニメーション表現、続いて立ち上がる、あまりにも美しいシャワールームの光、音、そして立ちのぼる湯気。息をのむ映像の数々が少しづつ鑑賞者に与えるその「予感」は、尺が進むにつれて次第に高まってゆく。呼応するふたりの息遣い。流れて行く日常。そしてリフレインする映像の数々。観るものが抱く小さな「予感」は、想像以上の衝撃をもってラストカットで炸裂し、頭の中で砕け散る。

音響効果も音楽も素晴らしい。何より見ている場所が違う。作ろうとしているもののスケールが段違いだった。たくさんの学生アニメーションがこのあと作られたけれど、やっぱりこれ以上のものはまだ観ていない気がする。ある意味ではひらのりょうの『ホリデイ』が近いんだけれど……。これを作りたい、という衝動は、一体どこにあったんだろう。

宍戸は現在、アニメーション会社・ユーフォテーブルの3D技師としてバリバリ『Fate』シリーズを引っ張っているみたいです。確かにこの作品で、何かがやり尽くされてしまっているのかもしれない。そういう意味でも、空前絶後・唯一無二の傑作中の傑作だと思う。これをみていない学生さん、だめだよ……!

『かがみのげんおん』宍戸幸次郎【3夜目】

『nakedyouth』の橋渡しになるような実験作で、何度か観ているけれどストーリー自体はそれほどよく解らない。重要なのはこの作品が2004年に作られているということだ。映像革新となった『彼女と彼女の猫』からまだ3年、学生作品が歴史を塗り替えるきっかけとなった『ホーム』からは1年しか経っていない。宍戸は発表当時、東北芸術工科大学の三年生だった。実写的なレンズと光の試行錯誤は、まるで絵画や、「実験映像」と名付けられていた素晴らしいビデオ作品のそれのようで、しかも手書きでなくコンピューターグラフィックで表現し尽くされていること、そして何よりも圧倒的な作家性がこの頃から垣間見えることも、ずば抜けた存在だったと言えると思う。いまこの作品が、すこし「古いな」と思えることは、結果的にどれだけその後のアニメーション表現にこれが影響を与えたのかということだ。2000年代の学生アニメーション・ゴールデンエイジを代表するような作品のひとつ。

『童貞かわいや』宍戸幸次郎【2夜目】

その存在から比べるとイマイチまだフォロワーが少ない気がする宍戸幸次郎(さん)のツイッターで、たまたまこの作品が再公開された旨が告知されていた。久々に観た。いやー、やっぱりすごい。宍戸作品では最初期(最初ではないと思うが)のものだと思うけれど、この強烈な内容。実写では生々しすぎるし、時間軸表現でないとこの間合いは表現できる気がしない。もちろん商業作品にするなら、せいぜいポルノとして企画を押し出すしかないだろう。正に、「自主制作アニメーション」でないと出来ない内容だ。

「おう、俺のお姉ちゃん頭おかしいから、一発ヤラせてもらえよ」的なストーリーか。後年の傑作『nakedyouth』に通じるような、少年たちの目線、見つめる先にあるどうしようもないグラグラ感・緊張感が既にある。ざっくりとした線画のキャラクターと不思議な接続感がある背景も、このころから健在だけれど、とにかく内容が内容なので、映像表現がどうとかはあんまり頭に入ってこない。最後、それを見つめているのが、お姉ちゃんなのがいい。エロアニメみたいなスタートなのに、結果的にその鑑賞者の一種の「思い込み」みたいなものすらを、全て見通したかのような最後のお姉ちゃんのこの眼差し。うーん、やっぱり、やっていることがすごい……。

この動画、YouTubeに削除されませんように。

『こわくない。』沼田友【1夜目】

第一本目どうしようかな、と思って、ぐるぐる考えたけれど、思い切って自分の作品にすることにした。こうすれば、このブログがそれほど“お高いもの”を書こうとしてないことにも気づいて頂けるだろう。ま、1000本も書くんだし(ほんとにあるか? そんなに……)、こういうスタートでもいいだろう。基本的に、1本10分くらいで書きます。そうじゃないと終わらない……。こんなの書く暇があれば1本でも物語を書け、というツッコミ、よくわかるけど違うんです! これが息抜きなんです!!

僕が、いまのアニメーション・スタイルにするきっかけになった作品。言葉に重きを置いた脚本、シリアスな題材、(どうがんばっても)ずさんだけどしょうがないか! って思い切れたグラフィック、そしてラストのどんでん返し。「社会問題をテーマに作品を作れ」という、大学三年時の課題制作だった。1週間くらいで作ったことを覚えている。その作業量で、2分45秒しかないこの作品で、ほぼ処女作状態にして賞レースにからんで6つくらい獲った(小さなものだけれど)ことは大きな自信になった。自分のフィルモグラフィー的にも、これか『夏祭り』(『旅街レイトショー』第三夜)かな、というくらい、キャッチーな内容の作品。路上アニメーションでも大変お世話になった(短いし、解りやすいしで、よくお見せする作品だった)。長らく現役選手にしてしまってごめんよ……。

この後の作品と比べると、それほど、これが好きです、と言って頂けることは少ない。入り口にはなるけれど、それほど心には残らないのは、やっぱり最後のショックにしか重きがないからなのだろう。じゃあ心に残る「重き」とは、どこか。その部分を掘り下げて行くことが、物語というものの冒険なのだと思っている。……迷子になってばっかりだ。

重ねて書きますけれど、これは自己満足のための趣味ブログです。