ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『おわかれ』ONIONSKIN【80夜目】

ONIONSKINを語るのは難しい。自分は長らく、このアーティストの「芯」の部分が見えなかったのだ。

このブログをずっと読んで下さっているならば、ぼくが「自主制作アニメーション」にどうしても求めてしまう核の部分を読み解いて頂けているかもしれない。たったひとりの人間が、それを作らなければ死んでしまう、これをアウトプットするしかないんだ、とアニメーションにぶちまける命の炎のこと(その、熱のこと)。あるいは自分ではない誰かの、考えていること、思っていること、生きてきた軌跡・あかし・哲学・皮肉・肉体・精神……それに触れるということ。こんなふうにカッコつけて書いていても、なんだか伝わり切らないものがあるけれど、とにかく「その人らしさ」と呼ぶべきもの、さらに単刀直入に書けば「単なる視覚情報、聴覚情報には載ってこない、その裏側にあるもの」。そういうものをアニメーション求めているところがあったのだ。

ONIONSKINは、それとは異なる流れからアニメーションと向き合っている(と思っていた)。登場したときからにわかにその技術力、グッとくるセンスの良さで注目を集めたONIONSKIN。『おわかれ』は現在鑑賞できるONIONSKINの最初期の作品にあたる。まずは抑制された色味、緻密に設計された画面とアニメート。そして心地よさ。ユニークなキャラクター造形はどれも可愛らしい。ガツンと大声を出してこないところに、親しみを持てる鑑賞者は多いだろう。

一方で、これから数日かけてONIONSKINの作品を紹介してゆくが、実はこれが彼らの「作風」というわけではないのである。ゆるやかで、あたたかく、目をそっとなでるような色味やグラフィックは、つまりこの音楽から強くインスピレーションを受けたものだ。それを実に見事に、完成度も高くアウトプットしている。しかしこれが違う音楽になった途端、その作風が激変する。いや、作風どころか、メッセージも、表現の軸足すらも、音楽によってがらりと塗り替わってしまう。キム・イェオン、小野ハナといったスター性のある作家がディレクターに据えられると、ほとんど彼女たちの作風で画面が占められ、過去の作品からの連続性がそこでも途絶える。つまるところ「ONIONSKIN」の個性とは一体どこにあるのか? クライアント・ワークとしてはとても正しいことかもしれないけれど、作家からのメッセージ、ハートビートを一種の物差しにしている自分にとっては、これの読み取り方がわからず常に混乱してしまうのだ。*1

題材の度に、自分の頭を脳みそごとすべて取り替えることが出来るということ。チームを名乗る行為とは、まるで逆行するかのようなその姿勢、メッセージは、(当時)学生のプロジェクトとしては驚くべき先鋭的なコンセプトだ。そういう意味では「脱・頭でっかち」なのかもしれない。とにかくフィルム表現・グラフィック表現としてのアニメーションを突き詰める……これもまた、アニメーションという表現への見事な献身だろう。逆に言えば、彼らのフィルモグラフィを読み解く度に、その一種「冷めた」思想にゾッとするところがあるし、それもまた何だか今っぽい感じがするなぁ、と思うのだ。

*1:誤解のないように書いておくが、グラフィックのセンス自体には一定の連続性が存在している。けれどそれは「表に出てくる」ものであって、裏側のハートとはちょっと違うものだ。