ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『サラリーマンNEO Season3 オープニング』青木純【32夜目】

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青木純は、卒業制作となった『スペースネコシアター』以降、商業制作、公開制作やワークショップなどで新たな作品を重ねてゆくことになる。その中から、僕が特に好きな作品を一つ挙げる。

インターネットではもう見れないのだが……NHKのテレビ番組『サラリーマン NEO』のオープニング映像として作られた作品。今こそありふれるようになったが、いわゆる「レトロゲーム」を次から次へとパロディにした内容で、そのテンポも、一つ一つのネタも、ばかばかしいったらない。何しろそれらの主人公が全部、サラリーマンになっているのだ! 単なるパロディを超えた、平凡な人々の、まるでゲームの中みたいなバトルだらけの毎日への示唆、まなざし。『走れ!』から脈々と続く、青木純イズムにあふれた内容だと思う。

ありふれた人生を走り抜けたり、アパートの隣人に怯えつつも生活を重ねたり、奈良の鹿をいじめて逆襲にあったり、絶対にコタツから出たくなかったり、日曜日に特に興味もないのにダラダラとテレビを見ていたり。そんな「主人公じみていない」、決してヒーローでもヒロインでもない人々の、実に何気ない風景を極上のエンターテインメントへと昇華させてしまう。この作家の手腕やメッセージは、今も色褪せるものがない。

それにしても、これもう一回見れないものだろうか……。

『将棋アワー』青木純【31夜目】

あなたがもし「アニメーション」を作りたくなったならば、まずどんな内容のものを思い浮かべる? キャラクターが動きまくるバトルアクション? 瑞々しい高校生たちの引き裂かれるような青春劇? 重厚なストーリーが展開する近未来SF? それとも寝静まった夜に動き出したくるみ割り人形たち……?

ベタな例えを出しおって、と思われるだろう。けれど、アニメーションの常識からのみで、ここからの「ズラし」を思いつくことは結構難しい*1。いきなりやりたい企画があって、どうしようもなくアニメ制作にのめり込んでゆく人間ばかりでも、確かにないと思う。そういう場合……ありふれているけれど、そこからまず抜け出す発想法の一つに、こんなものがある。……「自分が“アニメ”以外に好きなものとは何だろうか?」。

それを組み合わせた、最高の結果のひとつがこれだ。非商業だから、ショートフィルムだから、アニメーションだから、この絵柄だから……成立していることは沢山ある。けれど一番のポイントは、やはり題材選びの巧みさなのだと思う。ここで「将棋」を選んじゃうのが、より正確には「将棋中継」を選んじゃうのが、この作家の強烈な個性だったのだ。いろんな作品があっていいのだ。当たり前のことだけれど、この作品の登場は、とても多くの作家たちの発想のレンジを広げたと思う。だから、ぜひ見ておくべき作品だ。もちろんこれ以前も、これ以後も、個性的な作品は沢山あるけれど……。

タイトルの『将棋アワー』が実にうまい。この作品のキモは、対戦相手がロボットであることでも、と金を必殺ビームで焼き切ってしまうことでも、角田信朗のそっくり人物を登場させていることでもない。誰もが知る、あの番組独特の「間」を忠実にパロディにしているところなのだ。あの「間」をアニメーションに置き換えた途端、こんなにも異様でたまらなく笑えるものになってしまう。だからタイトルが、『将棋“アワー”』なのだ。

*1:もちろん、やるけどね!

『コタツネコ』青木純【30夜目】

出ました! 青木純の代表作。どてらを着た猫が六畳の和室でコタツに座っている。という謎の絵力もさることながら、可愛らしいタイトルとのギャップが激しい冒頭のインパクトたるや、すさまじい。青木純のどの作品もそうなのだが、音の演出がこの作品でも実に見事だ。大音量のヘヴィメタ、デスボイス、からの大袈裟すぎるドカーン!バシーン!的なSE。「何!?何が起きたというの!?」と観客の頭は最初っから混乱しっぱなしだ。次に気持ちが追いつくころには、もうミカンも急須もありえないくらい宙に舞っていて、リモコンはコタツネコの手にすっぽりと収まっている。ボタンを押すときの小さすぎる動きもギャップを生んでいていい。スタッフクレジットの早すぎる出かたもたまらない。「そ、それだけかよ!」。

丁寧に作られたセットは所帯じみた空気感があって、日本人なら馴染み深い風景だろう。抑えられた色味もいい*1し、ガラス戸の奥に見える小道具も芸が細かい。そして何より、このキャッチーすぎるストーリーがたまらないのだ。この「あるある!」は老若男女問わず通用するし、決してアイデアだけに留まらせず、エンタメに富んだ演出に向けて知恵が絞られているのも素晴らしい。難しいことを考えずに、これでいいんだよ、と思える。青木純という作家性をたった1本で映し出したような秀作だ。

*1:特に、ふすまの濃い青のラインが好き。

『奈良鹿物語』青木純【29夜目】

青木純の作品を観ていて思うのが、制作期間的な制約から、ちゃんと中身を縛って、それをストーリーにも確信的に反映させていることだ。『走れ!』『テレビ』『Apartment!』は、実は制作期間もとても短いし、ワンカットもの、最小限カットものの作品になっている。技術面でも最小限のリソースしかない状態で、きっちりとスキの少ないものに仕上げているし、アイデアや演出で手数の少なさをカヴァーしている。青木純が「自主制作アニメ」の必須図書である理由はそこにもある。自分ひとりぐらいしか頼れない状態で、どんな作品に仕上げていくのか……そのコストパフォーマンスがとてもうまい作家なのだ。

そんな中で、これらのフィルモグラフィーに続けて制作された『奈良鹿物語』は、初めて青木純がしっかりと自分の絵で、カットを割った作品になっている……のだと思う。僕が見落としていなければ……。それぞれの作品で試み、そして鍛えたノウハウが少なからず生かされている作品だ。他のものと比べるとちょっと存在が地味かもだけれど……。

『Apartment!』青木純【28夜目】

「アパートもの」は、わりかし学生が思いつく中では「あるほう」の作品だと思う。自分が卒業した代も含めて、他にも数作品見たことがある。こういう作品が往々にして弱くなってしまうのは、「主人公が不在」になりがちだからだ。結局、主人公を決めきれないから、アパートを定点観測するようなオムニバス的な作品に手を出してしまう。青木純は、まずは主人公が引っ越してくるところから始めたこと、そして最後に小さなカタルシスを持ってきたことで、それを解決している(ちなみに、『コーポにちにち草のくらし』も「アパートもの」ですね)。

うまいのが、どれも匂わせ方を「やり過ぎていない」ことだ。女の子への伏線も最小限だし、昼と夜で違う表情を見せる住人にも、毎夜ケンカが絶えない住人にも、主人公はほどよい距離感を作っている。その様がこの物語に、何か一つ希望のようなものを紡ぎ出しているのだ。互いに不干渉な「冷たい」社会……なんてことを言わずに、なんだかんだで互いを少しづつ許し合いながら、毎日が続いてゆくことを描いている作品だと思う。背景二枚、歩く作画も少しづつ、という比較的低コストな中で、しっかり丁寧にする部分は作り込まれているところもいい。

あのおじさん、いつ寝てるんだろう……。

『テレビ』青木純【27夜目】


このブログでも必ず時間を割いて紹介することになると思う、歴史的傑作――『ホーム』から数ヶ月後、青木はひとりで再び人形アニメーション制作に乗り出す。アイデアは極めてシンプルだった。ワンカットでみせる、「テレビの中に閉じ込められてしまった男」……。

秀逸なのは、やはりテンポがいいこと。実際には、カメラのレンズに頭をぶつけているはずがないのに、効果音でそれを補強しちゃんと伝えているので、結果的にこれがリズムを作り出している。映像としても、「人形アニメーション」という、必ずカメラのレンズを意識せざる終えない環境で作ることに、作劇上の一種の必然性があるのがうまい。わたしたちがのぞいているこのカメラのレンズすらも、一種の「入れ子」になっているのだ。

この作品は特に……だけれど、ウェブサイトに詳細なメイキングが載っているのも嬉しい。ちゃんとこういうのを残しているのが素晴らしいです。

『走れ!』青木純【26夜目】

「これからまだ記事を975本も書くのに、もう青木純か!? 早すぎるんじゃないか!?」的なツッコミ、ようく判ります。でもだめだ! とにかく手をつけないと始まらない……。とっておいてもしょうがない……。

青木純が「自主制作アニメーション」の王道であり、もしかすると象徴みたいな存在であることには、いくつかの理由がある。東京藝術大学デザイン科出身という「美大」の流れを持つキャリアでありながら、誰に見せても「楽しんで」もらえるポップさを持ちあわせ、一緒に親しみを持てる絵柄を操ることができて、同時に一種の「マニアックさ」すらも併せ持ち、最近ほんとこれが重要なんだなって思うようになったんだけれど、どの作品にも「皮肉」のセンスをしっかりと身につけていること。……だからと言って青木純ばっかり真似してもしょうがないのだが、とにかく10年前、「自主制作アニメーション」のスター選手だった存在を「昔の作品だ」なんて思わずにちゃんと見ておいたほうがいいと思うのです。僕は口うるさい先生か!? ごめんなさい!!!

『走れ!』は、青木純の処女作。大学の課題制作で作られたものらしく、ゴールデン・ウィークをつぶしながら制作に時間をあてたという。青木にとっては、絵を動かすことも、絵コンテを描くことも初めてだったらしい。ホームページにアップされているメイキングギャラリーを眺めてみると、そもそも何コマで動きを描くか……的なところから模索している様子がわかる。2003年は、ちょうど学生たちにフォトショップやアフターエフェクトが確実に出回り始めていた頃。もっと言うと『ほしのこえ』が完成する年。だから「フルデジタルアニメーション」であるというだけで、それは十分うりの一つだったのだ。

けれど、この作品はそんな「作り手の手間」をまるで感じさせない。わずか30秒。赤ん坊がダーッと駆け出した瞬間から、笑っちゃうような展開が次々と現れる。どの年代にも届くフックがいくらでもある。モーフィングしまくる服装、誰でも吹き出さざるを得ないスライディングベッドイン、やたら長い千鳥足シーンからの電柱ゲロ……。ああ!おもしろい!走り終えた彼の爽やかな表情ったらない。運動会の徒競走みたいな音楽も見事だ。今見返すと、5歳くらいのシーンで90度曲がるのも上手いなぁ。誰でも好きでしょ、これは……。

処女作にして、たった30秒にして、先ほどあげたようなセンスを全てまざまざと見せつけたのだから、やっぱり天才といってよいだろう。この1本だけで消えちゃう作家とかもいたりするのだが、青木はさらにこの後、キャリアを積み重ねて行くことになる。

『夏と空と僕らの未来』井端義秀【25夜目】


 一つの強いアイデアが、語り草になる作品がある。井端義秀の『夏と空と僕らの未来』なんて、正にそれだ。

作品が始まると、マンガのコマ割りがあらわれる。その中に登場人物が駆け込んでくる。今で言う「モーションコミック」風の演出……最初だけは。作品の設定はベタ中のベタだ……これも最初だけは。ある放課後、男の子は、よりによって女の子へのラブレターを机の上に置き忘れてしまう。慌てて教室まで取りに戻ると、そこには謎の少女がいて……。

圧倒的なポイントは二つ。まずは「アニメーションの中にマンガがある」というアイデアに対して。女の子と男の子のドタバタな追いかけっこは、次第にコマ割りを破壊し、縦横無尽にその上を駆け回るようになる。この「ネタ」の豊富さといったら! こういう映像自体は、初めて観るものではきっとないだろう。しかし10分近くもあるこの作品では、この「マンガである」というコンセプトが最後まで徹底的に貫かれている。それがまた、この「ワンアイデア」で思いつくものはほぼ出尽くしたのではないか、というほどに詰め込まれ、また作り込まれているのだ。つまり、このネタの金字塔となっているのだ。そこが素晴らしい! これから十年間、同じようなネタを誰かがやったとしても、これを上回れるかはちょっと疑問だ。単に視聴者を楽しませてくれるだけでなく、シナリオの切り替えポイントで効果的な「演出」にきちんとなっているのもまた、本当に抜群なのだ。内容自体にこの演出の必然性があったのだ。

もうひとつはシナリオだ。まるで僕たちの甘酸っぱい青春漫画のような、タイトルにもある『夏と空と僕らの未来』なんて青臭い単語を3つも並べちゃうみたいな……そんな風通しのある演出そのものが、このシナリオの一種の「皮肉」になっている。とても残酷な真実が、後半では明らかになる。だけれど、でもそれでも、僕たちはきっと未来を信じて、そして想いを届けようとするのだろうーー。一瞬を燃やし尽くして夏の青空に、僕らの未来をふわりと浮かべる、そんな青春の爽やかなラストシーンに、ちくりと乗っかる「痛み」が観るものを決して離さない。たぶんこれは、あなたにとっても忘れられない物語になるだろう。

やっぱり、ワンアイデアだけではエヴァーグリーンにならないのだ。ここの、この瞬間に刻みつけた「王道」の「想い」があるから、この作品は未だに色褪せることがない。映像の面でも、シナリオの面でも、それぞれのキャッチーさが見事に噛み合って、それが昇華されている傑作だ。実に見事な作品だと思う。

作者の井端は、この次に『ツキ姉と僕』という作品を発表したのち、商業作品に軸足を移す。その後はテレビアニメの世界で着実にキャリアを積んでいらっしゃっていて、『四月は君の嘘』の素晴らしい回を見終えた後に、井端(さん)の名前を「絵コンテ・演出」欄で発見することが出来た時には、言葉にならない感動があった。その時たまたま、ネット上で言葉を交わすことが出来てすごく嬉しかった。井端(さん)は2017年現在も、テレビアニメの演出家として活躍している。

『アメリカンホームコメディ』熱湯【24夜目】

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前作『山田君ロックンロール』で、会場に集まった観客に手拍子を促す「参加型」アニメーションを提唱した熱湯。彼はこの作品で、さらにとんでもないことを企む。作品が始まると、(『フルハウス』みたいな)いかにものアメリカン・ファミリーがテーブルに座っている。その手前に、プロレスのお面をかぶった男がこちらへスケッチブックを向けている。そこにはこう書かれていた。……『大爆笑して!』。

「ライブ」の熱狂をスクリーンに再現した熱湯が次に思いついたのは、より映像という媒体に密着した……「シットコム」の会場での再現だった。謎の男から、指示が次々と示される。『えーって言って!』『拍手して!』。なぜかアメリカン・ファミリーすらこっちを見て(第四の壁が破壊されている)いて、こちらがアクションを起こさないと、画面内のアメリカン・ファミリーの話はまるで進まない。はちゃめちゃだ! さらに!! この一回限りの上映の、観客の拍手や声を録音し、後日アニメーションと「合体」させたバージョンがネットで発表されたのだ。さながら本物のシットコムのように! 今振り返っても、あまりにも斬新で、ほかに類をみない革新的なアイデアだっただろう。鳥肌が立つような思いだ。

さらにだ! 熱湯のウェブサイトのフィルモグラフィーからはカットされているが、実はこの後にもう一本、熱湯には『うたとリズムのわくわくキャラバン』という作品があった。これは「slashup★02」というオフラインイベント用に作られたもので、作品が始まるとうたのおねえさんが出てきて、「リズムにあわせて足を踏みならそう!」みたいな指示を観客に出すというものだった。もともと「slashup★02」は東京、大阪、さらに札幌や博多での開催も予定された「全国ツアー」イベントだったが、観客が集まらずに2公演が中止された。後で熱湯(さん)の掲示板に自分で聞いてみたのだけれど……実は『うたとリズムのわくわくキャラバン』は、各会場ごとに内容を変えていて、例えば東京では足踏み、大阪では手拍子……といったように、指示するものが違うはずだったらしい。そしてそれを録音し、最後には全部合体させた全国バージョンをネットに発表する積もりだったとか! や、やばい……。残念ながら「slashup★02」は観客を集めきれず、このコンセプトも消滅。熱湯にとっても、これが最後のアニメーション作品となった。FLASH・動画板でのアニメーションの盛り上がりが、終息に向かいつつあることを証明するような出来事でもあった。

スクショは、公開終了時にアップされていた画像より。

『山田君ロックンロール』熱湯【23夜目】

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熱湯がもうひとつ革新的だったのは、このころ勃興していた「オンライン上映会」に(この作品で)新しいアイデアを吹き込んだことだ。インターネット上にアップされたものを各自のPCで見ながら、2ちゃんねるの専用スレッドに感想を書き込み、たまに誰かがブログに感想をまとめたりもする、そういうスタイルを越えて、実際に大きなホールを借り切って作品上映……。中の人的に繋がりはないものの、今の「FRENZ」に続く流れをくんだ上映会が巻き起こり始めていた。より大スクリーンで、より大音響で、そして全員で「神職人」たちの新作を楽しむ……。熱湯は、その流れにも、ユニークかつ独特で、そして大胆なアプローチを試みたのだ。

内容自体は、もう見て頂くしかないのだが、とにかく劇中でコミックソングが唄われるというもの。しかしすごかったのはここからだ。その画面の隅っこに、4つ打ちのリズムに合わせて点滅する丸いマークをつけたのだ。「拍手インジケータ」と名づけられたそれは、観客に「このリズムに合わせて手拍子を打ってくれ!」と促すものだった。当日、その会場に僕はいなかったけれど……それでも熱狂が伝わってくる。歌と拍手が一体になる、全く新しい「オフライン上映会」に特化したアニメーションのアイデア。ああ、くやしい。こんなやり方もあったのか!

アニメーション一本で観客に拍手を促し、会場を一体化させる。音楽は盛り上がり、爆笑は爆笑を呼ぶ。この観客参加型のエンターテインメントの提供は、今思えば「応援上映」の先取りではないか。この革新的なアイデアで、熱湯は一気に、オフライン上映会に欠かせない存在としてその名をあげることとなったのだ。