ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『祝典とコラール』中内友紀恵【61夜目】


“音楽を聴くと頭の中に流れ込んでくる、そのイメージを可視化する”。実際に音楽を聴いている場合、いきなり具体的なストーリーが頭で出来上がるような人はまれで、多くはきっと抽象的な、色と形が(あるいは風景とかが)交錯するようなものになると思う。古くはノーマン・マクラレン*1、近年だと水江未来とか大橋史とかがトライしている「音楽との格闘」に、鮮やかに参戦したのが中内友紀恵だ。『祝典とコラール』は、その中内の出世作である*2

まず選曲が素晴らしい。そして妖しく、わくわくする、なおかつキュートなグラフィックが洪水のように押し寄せる様が圧巻だ。ここでユニークなのは、線画のキャラクターと、輪郭線が描かれないグラフィックが画面上で混在していることだろう。それぞれが、「音楽がつくるイメージ」と「音楽の中に飛び込んだ『わたし』」を見事に切り分けている。影の描き方も、それがどんどん巧みに(時に残像を遺して)メタモルフォーゼしてゆくことも素晴らしい。ある意味、それほど統一感がある変化をしていくわけではないのだが、そのごった煮っぷりも、色がパレードしていくような色彩の選び方も、タイトルにもあるような「祝典」を見事に演出しているのだ。

中内は本作がコンテストで注目されるや否や、様々なオファーが殺到。それを引き受ける形で、進学後も商業作品を(主にグラフィック面を支えるスタッフとして)次々と手がけるようになる。

*1:詳しくないので恐る恐る名前を出すが……。

*2:そして面白いことに、後年、中内は水江とも大橋ともコラボレーションをすることになる。

『夜ごはんの時刻』村本咲【60夜目】

なぜ、アニメーションでなければならないのか。

小説だったり、絵画だったり、漫画だったり、写真だったり、演劇だったり、音楽だったり、実写だったり*1、沢山の表現媒体がある中で、どうしてそれは、アニメーションでなければならないのか。作り手が時々立ち止まると、そもそも悩んでしまったりすることがある。答えはあるかもしれないし、もしかするとないのかもしれない。

作中で淡々と描かれてゆく、「夜ごはんの時刻」までの風景。セリフもなく、音楽もなく、登場人物たちが家路に向かう姿が(最後のシーンでさえそうだ)次々に映し出されてゆく。そのどの光景もが、なぜか観るものの記憶の扉を優しくノックする。決してグラフィックが描き込まれているわけではないのに、何か強烈な別の景色が頭の中に立ち上がってゆく。そうだ。そうだ。確かに、「夜ごはんの時刻」というのは存在していたはずなのだ。砂場で行列をつくって手を洗って、バス待ち、流れる影に当たったらダメージを受けて、遠く眺めるビルの灯りがひとつひとつ落ちていって、すぐ隣に避ければいいのにわざわざ手すりを乗り越えるような動きを自分に課したりして。あの「時刻」に向けて、物語は確かに進んでゆく。ほとんど最小限といってよい、けれど極めて効果的で、鮮烈な「ストーリー」。ケレン味のないそれが、あらゆる表現技法を超えて、多くの鑑賞者に直接届いてくるはずだ。

もしもグラフィックがより具体的だったら、ここまで自分自身のパーソナルな記憶が流れ込むことはなかったのではないか。もしも絵が動いていなかったら、これほど肉体的に感覚が蘇ることはなかったのではないか。あまたある「アニメーション」という表現技法の力の、そのひとつを、ここまで鮮烈に感じさせてくれる作品は、あまりないのではないだろうか。

思えば歳をとるにつれて、この(自分の中の)「夜ごはんの時刻」がどれだけあいまいになってゆくことだろう。家に帰るまでの、あの愛おしくて、優しい時間。ここを切り取ろうと着想したこと自体も素晴らしいし、ちゃんとそのコンセプトが、最大限の効果を生み出していることも抜群に優れていると思う。

*1:実写かアニメーションか、は近年ますます曖昧になるつつあるけれど。

『旅するぬいぐるみ』田澤潮【59夜目】

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2013年の夏くらいだったか、初めてコミックス・ウェーブ・フィルムのオフィスに招かれたときに、社長の川口さんがニコニコしながら、「ちょっと観てみてよ」と、この『旅するぬいぐるみ』のDVDをかけて下さった。全天プラネタリウム用の映像として制作された10分間のアニメーションで、うわ~めっちゃいい~~!!と興奮した様子をそのまま伝えたら、いいだろ、俺もよく把握してないうちにめちゃくちゃいいものになっちまったんだ、とお話して下さった。あの感じがとても印象に残って離れない。そうして出会った作品だ。

だから、本当は、あらすじや予告編すらも観ないままで、この作品に触れて欲しい*1。余計な情報を仕入れずに、本編からいきなり再生してほしい。一応DVDが発売中だけれど、大手の定額動画配信サイトでも見られると思う。

とにかく内容がいいのだ。圧倒的な作画クオリティ、美しい背景美術、可愛らしいキャラクター・デザインに、エモーションを煽る音楽。編集は心地よく、そのあたたかな眼差しは画面から溢れてくるようだ。そして、ストーリー。どうかお願いなので! あらすじとか予告編を先に観ないで欲しい。前知識なしで観始める、その鑑賞者の認識のずれが、巧みにラストのカタルシスに結び付いているのだ。ひとつだけヒントを言えば、その「スケールの大きさ」に、だ。とにかく一見の価値がある作品。

羽田空港国際線ターミナルにある「プラネタリウム スターリーカフェ」では、2012年の初号から現在に至るまでずーっと上映され続けているようで、現在時点から計算しても実に5年にわたるロングランになっている。こんなの、何も知らないでカフェでぼーっと見てたりしたら、出来の良さにびっくりしちゃうよな。『旅街レイトショー』が何とな~く空港モチーフになったのは、これに引っ張られたからだと今でも思う。どうだったんだっけ……向こうが羽田だから、こっちは成田にしよう、くらいまで言ったような……。

監督の田澤潮は、昨日紹介した作品のほかに、話題になった大成建設のTVCM『新ドーハ国際空港編』も手掛けている*2。2010年には長編オリジナル作品『一輪者』の制作を発表したが、こちらは続報が途絶えてしまった。

*1:予告編にネタバレっぽいカットもあるので尚更……だからこの記事にも動画を貼ってない。

*2:そういえば、あの空港は完成して「ハマド国際空港」として運用開始したらしい。

『LIFE NO COLOR』田澤潮【58夜目】

漫画でも、イラストでも、小説でも、音楽でもなく――アニメーションで表現する、ということが、たまらなく「カッコイイ」ことだった時代を象徴するような作品のひとつだ。

『LIFE NO COLOR』自体は4分しかないアニメーションで、描かれる時間軸も短く、構成もシンプル。とても単純明快なボーイ・ミーツ・ガールものになっている。最後の演出がちょっとわかりにくいけれど、ちゃんと気が付くと「あっ!」と思わせてくれるラストには、風が吹いたような感覚が訪れる。……そんな作品だ。

けれど、この頃「自主制作アニメーション」で試みようとされていたことは、それだけに留まらなかった。この作品の真の主役は「街」そのものだ。いざキャラクターの動向を追わずに再度観直してみると、気になって来る箇所はいくらでも出てくる。そもそもこの2つの学校の違いは何なのか?子どもたちはこの下でどうして遊んでいるのか? どういう階層の人々が暮らしていて、治安はどれくらいで、いまこの街では何が起こっているのか? めちゃめちゃ多くの示唆や謎が丹念に織り込まれていて、この4分間を繰り返し鑑賞していると、直接描かれているストーリーを大きく上回る情報量が次第に浮き彫りになってくる。これだったのだ。作家の頭の中で爆発的に描かれてゆく世界・街・ストーリー・設定もろもろが、そんなとてもあらゆる手を使っても描きつくせないような「超すごい」ものが、あえてアニメーションの4分間に、パイロット・フィルムのように落とし込まれる……。その、表現としての熱量とクールさは、多くの鑑賞者や制作者を燃え上がらせた。それが「途方もなくカッコイイ」こととして存在していた時代だったのだ。猥雑な言い方をすれば、たった4分間だけなら『AKIRA』にだって負けないのではないか? そういう希望が、少なからずの人々に伝染していたのだと思う。

ほぼ同時期に吉浦康裕も試みていたような、出始めたばかりの3Dと2Dの融合が目指されたグラフィックも出色。CGアニメコンテストでも受賞しているけれど、個人的にはなんとなく「デジスタだなぁ」と思わせられる作品です。発表は2002年で、制作時期的には『ほしのこえ』とほぼ同じころ、そして『ホーム』の一年くらい先輩。

フリーランスのアニメーターだった田澤潮はこの作品のすぐ後、新海誠の『雲のむこう、約束の場所』のキャラデザ・総作監に抜擢され、そのうねりの中に飛び込んでゆくことになる。

『ファイアボール』荒川航【57夜目】


先日松慶さんを取り上げたときに、「好きだったショートギャグ作品って他に何があったかなぁ」とぼんやり考えた。そこへ、ちょうど『ファイアボール』の新作発表ニュースが飛び込んできた。そうだ、例えば『ファイアボール』があった。

ウォルト・ディズニー・スタジオ史上初の日本人チームによる新作ディズニーアニメとして、CSチャンネルで放映された作品。ちょっと高飛車なロリお嬢様ロボットと、「お嬢様にお仕えしている」武骨な使用人ロボットのやり取りを描いたコメディ作品だ。一話2分の枠をギリギリまで使い込む超スピード展開、そして「日本語」の面白さをよく引き出した会話劇が痛快だ。ドロッセルの、ツンツンしてるのにちっとも嫌味じゃない甘えん坊キャラ、なのに時々めちゃくちゃ凛々しくカッコ良く見える瞬間の素晴らしさ。そしてゲデヒトニスの誇り高き執事っぷりはどれもキャラクターがよく立っていて、いつまでも見ていたくなる魅力がある。3DCGであることを生かしたメリハリのある動き、そしてモデルのようなドロッセルの決めポーズもユニークで飽きさせない。そしてここが凄いんだけれど……、最初から最後まで、一貫してある「ストーリー」を展開しているのが見事なのだ。実は非常に作り込まれた、謎の多い舞台設定になっているのだが、本編では視聴者の興味を失わない程度に、実にさりげなくそれが解説されていく。この、「本編のギャグとはまた別軸で視聴者の不安と興味を煽るようなストーリーを展開させ、最終回付近で合流させる」というテクニックは、最近だと正に『けものフレンズ』がやっていたそれなのだ。伏線が回収され、思わず拍手してしまうほどに、スカッと格好よく『ファイアボール』は完結する。あのラストの痛快さが、この作品を傑作にしたと思う。

続編である『ファイアボール チャーミング』も面白いが、かなり本作を「踏まえた」内容になっているので、その意味ではやや精彩を欠いているかもしれない。『スーパーマリオブラザーズ』と『スーパーマリオブラザーズ2』みたいな感じ?なのでまずはやはり、この第一作目から見てほしい。とてもおすすめです。

この作品の監督やってる荒川航って、何者なんだろう……。ウォルト・ディズニー・ジャパンのテレビ関連事業に所属するクリエイティブ・ディレクターとのことだけれど。これがデビュー作且つ、唯一の代表作だなんてとても思えない……上手すぎるだろう……。

『ヤマを横切る白雲のように人には分からないように私に笑いかけて』84yen【56夜目】


傑作『CROWN』をはじめ、日常にひそむフワフワした恐怖、そして狂気じみた執念をフィルムに焼き込むアニメーション作家84yenの最新作。MAKKENZとarai tasukuのミュージック・ビデオとして制作されたアニメーションだ。

やわらかなモーフィング、意味ありげなモチーフ、不安と安心が共有するダウナーなセンス(こういうのは希少だと思う)、そして怒涛のように押し寄せるラッシュシーンは本当に圧巻だ。手描き、カラリング、そしてコラージュ……84yenの得意技が、惜しげもなく投入された秀作だと思う。

この作品はリリックが強いので、より描こうとしているものが鮮明に響いてくる。まるで裏表のような光と闇。部屋の壁紙を引き剥がせば牙を表す深淵。生きる、というだけでじたばたともがいてしまう、そんな「見えない何か」に挑もうとしているような作品だ。

これ新千歳とかに出せばいいのに……。

『CROWN』84yen【55夜目】

きのう紹介した『sleepy dance』は2011年、『ちいさい音ダイアル』は2012年に発表された84yenの作品だ。本作はその2~3年後、2014年にオンラインイベント「FRENZ」で発表された。この『CROWN』は100をこえる上映作品の中から、最終日、最終プログラムの大トリに抜擢されたものだ。

間違いなく、作者にとって、集大成のつもりで制作されたものだろう。

冒頭の金管楽器による不穏なノイズ、そしてファーストカットから度肝を抜く強烈な映像表現。ウィリアム・シェイクスピアの『リア王』を下敷きに、年老いた老人のあまりにも圧倒的な自我の世界が描かれる。ひとつひとつのシーンのグラフィックの熾烈さも勿論だし、この、毛細血管ひとつひとつを引き剥がしてゆくようなアニメートの狂気ったら何なのだ。線の一本一本に人間の執念がある。息をすることも禁じられるような、その気迫に窒息しそうになる作品だ。音楽のチョイスも素晴らしい……。これはフルスクリーンで、ヘッドフォン大音量で観ましょう。ぜひ覚悟して鑑賞して欲しい作品だ。84yenの血まみれの執念が実を結んだ、圧倒的な傑作だと思う。ラストもクソかっこいい……。HOO!!!

こういうふうに、映像の細部まで作り込み過ぎてしまって、ネットの動画サイトではブロックノイズだらけでまともに見られなくなってしまう作品の顛末を、ぼくは「水江未来現象」と呼んでいます。

あ。84夜目とかに紹介すれば良かったな。

『sleepy dance』84yen【54夜目】


その奇抜かつユニークなセンスで、日常にひそむ「目には見えない何か」を描き出す84yen。そんな彼が、いわゆるボカロっぽい曲に映像をつけるとどうなるのか? それがこれだ。……本当に、いちいち作品の度に違うチャレンジをしていて、驚かされる。

冒頭こそしっかり「ボカロ」っぽいカルチャーを咀嚼していて、過去の作品よりもずっと「寄せている」なと感じさせられる。そこからまず「壊れる」のは物語……どうも不穏なシーケンスが連続すると、作品は途端に抽象パートへと突入する。そして挿入されるモーショングラフィックス風のノイジーな映像、そして手描きグラフィック、コラージュ、さながら実験映像のようなカラフルな実写パート――実にてんこ盛りだ。そしてそこから、アニメーションはようやく「はじま」ってゆく。

ワンカットごとに収められる情熱や、暴力にも似た壮絶な作り込みが素晴らしい。すげえ厳しいことを言えば、(この作品については)まったく見たことが無い映像では確かに無いのかもしれない。それでも、ひとつの音、ひとつのメッセージ、ひとつのカットに全身全力でぶつかってくる様が、スクリーンを越えて鑑賞者の脳天に突き刺さってくる。規格外の8分半(!)におよぶ「ボカロPV」は、発表当時からニコニコ動画視聴者の度肝を抜いたことだろう。彼の本当の才能とは、実は、ここなのではないか。

……あんまり自分が触れるのは好きじゃないから、あえて上では書かなかったけれど。この作品の発表は2011年9月。なるほど、けっこう明確に「震災後」の作品だな、そういえば。と思う。

『ちいさい音ダイアル』84yen【53夜目】

僕が初めて84yenの作品を観た作品が、これだった。

昨日、おとといと84yenの作品を紹介してきたが、この『ちいさい音ダイアル』の作風には驚かれるのではないか。いわゆる「怖い」演出もなく、コラージュもデジタル作画も使われていない、全編ガチ水彩アニメーション(CG技術は使われているけれど)。やわらかな女の子のキャラクター、多くを描かないミニマムでカラフルなグラフィック、水彩による紙の「よれ」も取り入れた画面づくり……。どれも素敵だ。肩の力を抜いて、じっくりと観てしまう作品だと思う。

ゆったりした時間、静謐な音楽も素晴らしいけれど、何より、描いている“内容”がいい。とても切実で、さびしくて……。水彩アニメーションだなんて、そんな面倒くさい技法を使ってわざわざ描こうとしてるのが、目には見えない「音」という存在そのものなのだ。この世界に確かに在るのに、誰もが目を向けない「何か」を突き詰める――過去の作品との連続性もしっかりとある(ちゃん「芯」のある作家なのだと思わせられる)。ぐっとくるレンジの広さだ。ポストに手を突っ込んで、くるくるしているカットも素晴らしい……。どうしてこんなの思いつけるんだろう?

84yenはこれの制作当時、東京の某美術大学の学生だった。そういう意味では、彼が大学の中でよく見かけていたアニメーションって実はこういうものだったのだろう。アートスクール系としてはマァマァ見なくもない作風も、彼の手にかかると、こうなる。

『はいいろさんは昼がこわい』84yen【52夜目】

今回このブログで84yenを取り上げるにあたり、ざっと代表作を見直したんだけれど、これは今回初めて観た作品。独特の、ダウナーで不気味な、観ているこちらが不安になるような「感じ」を描く84yen。日常生活でなぜか私たちが「目を背けている」ようなものを、えぐいくらい真直線にフィルムから映し出している。鋭い白黒のコントラスト、幅広いシーケンスの選択、1コマづつにまで注ぎ込まれた「動き」へのこだわりも素晴らしい。

ニコニコ動画のコメント欄にも書いてあったけれど、一見不気味な作品なのに、これを観ていてどこか「ほっ」とすると言う人もいるかもしれない。よかった……「目に見えない不安」は、やっぱり存在するんだ、って、ちょっと安心するような感じ。少し、わかる。

といいつつ、『時間が余りまくった若者が、その焦燥感をぶつけようとがむしゃらに作られた作品』というのが真実だったりするのかな。どうだろう? 間違いないのが、84yenが「わりと最初から」身に着けていたこのセンスに、自身で決して溺れなかったことだ。彼はこのフィルムから、その後、さらにさらに大きな飛躍を重ねてゆく。