ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『水準原点』折笠良【100夜目】

「この作家を追い続けていれば、いつか、このような作品が観られるのではないか」。そんな奇跡のような予感は、けれど多くの場合、その作品が出来上がったときに“初めて”気が付かされる。本作は、折笠が大学院修了後、仕事をしながらコツコツと彫り続けていたものだという。『水準原点』は日本のアニメーション賞の権威である大藤信郎賞を獲得し、海外でもアヌシー、オタワ、ザグレブ全てで*1ノミネート。日本人として史上初めてゴールデン・ザグレブを、オタワでは最優秀実験・抽象作品賞に輝いた。

画面いっぱいに押し寄せてくる白い土。ただただひたすら大波が起こって、さざ波が残り小さくふるえる。カメラはそれを延々と映し出す。その繰り返しが続くだけなのに、なぜか不思議と引き込まれ、目が離せないその光景。変わらずに起こり続ける波……。と、ある瞬間、カメラが切り替わる。今度はこの光景を上から映し出す。そこに浮かび上がっていたのは――石原吉郎の詩、「水準原点」。それも、一文字づつ、だ。これまで起きていた波は、実は詩の一文字一文字が白い粘土に刻まれ、そして消える――この運動から発生していたものだったことを、鑑賞者は初めて知る。

『Scripta volant』で英語を、あさって紹介する作品でフランス語に挑んだ折笠は、あるとき「日本語が気になりだし」て、『現代詩手帖』を過去五十年分遡り、読み込んだという*2。そこで探し出したのが、長く厳しいシベリア抑留の経験をもつ戦後詩の巨匠・石原吉郎だった。この白いさざ波は、その経緯を踏まえてみれば、寒く厳しいソ連の景色をイメージさせる。

この作品は、どうしても「100夜目」に紹介したかった。『水準原点』は、これまでのどのアニメーションにも似ていない。具体的なストーリーは影も形もない。そこにあるのは、日々の生活の中で、ある詩人の「ことば」に挑み、向き合い、そして懸命に「想像」をするために、彫り込まれ続けたその記録だ。二度と書き戻せない不可逆の創作の中で、6分40秒間に刻み付けたアニメーションの「彫刻」だ。その姿はあまりにも力強くて、気高く、そして、美しい。また石原のエピソードを踏まえれば、この作品の静謐な誇り高さの正体は、厳しい環境の中で祖国を想い、言葉を刻み続けた詩人の姿そのものだったということが、はっきりと解るだろう。

そして同時に、これまで「1コマごとに」刻むように、自分ではない何者かのこえを聞き、アニメーションにし続けてきた折笠の、その創作のエッセンスを最もシンプルに、そしてドラマチックに表現した到達点の作品であることも、きっとご理解頂けると思う。

どんなドラマでも、本でも、経験でも、音楽でも、決してなし得ないことが、アニメーションをもってすれば描き出すことができる。この作品は、アニメーションが持つ極めて大きな多様性と、可能性と、そして込めることができる「物語」の自由さを証明している。揺るぎない、アニメーションというテクノロジーを、ひとつの気高さにまで昇華させた永久不滅の傑作。

もし鑑賞できる機会があれば、ぜひご覧になって下さい。

 〈みなもとにあって 水は/まさにそのかたちに集約する/そのかたちにあって/まさに物質をただすために/水であるすべてを/その位置へ集約するまぎれもない/高さで そこが/あるならば/みなもとはふたたび/北へ求めねばならぬ/ /北方水準原点〉

*1:世界四大アニメーション映画祭のうち、応募可能だったもの全て。あと一つは二年に一度の開催となる広島。

*2:出典:東京新聞:詩の重みをアニメで表現 潮来の作家、クロアチアの映画祭で入賞:茨城(TOKYO Web)