ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『恐竜が死んだ日』倉岡研一【97夜目】


自分の話をします。多摩美の三年次で制作した、「物語に重きをおいたアニメーション」に多少の手ごたえを感じた僕は、次の1年がかりで作る卒業制作に、どうしても――40分間の長編アニメーションがやりたくなった。シナリオは(最終版とはかなり変わったけれど)原案段階のものが既にあった。あとは自分がやれるか、やれないかだった。けれど途方もない尺もそうだし……何より自分の絵は、周りから見ても極端にヘタクソだった。こんなもの作って卒業していいのだろうか? 他のみんなの何点も足りない自分が、そんな大背伸びをしたシナリオ重視のアニメーションを作ってもいいのだろうか……? そういうことで、途中から頭が一杯になってしまったのだ。卒制のプレゼンテーションは近づき始めていた。焦りと不安で縮み上がっていた。そんな時に、どういう経緯かさっぱり忘れちゃったけれど……たまたま出会った作品が、これだったのだ。

まるで子どもの夏休みの宿題のようなイラストレーション。力強くはかない少年のモノローグ。映画的な演出に、謎解きのように次々と見えてくる真実。そして描かれる、主人公にはあまりにもシビアな物語……。決してグラフィックの手数は多くない。けれどそれがまた「物語上の必然」となって、少年の心を、激しくせつなく見事に描き出していた。短い作品だが、観終えた後、ぼくの心の中にある言葉が去来した……「これでいいんだ」「やれる、できる」。作家が、この尺の中で伝えようとしていることが、やろうとしている意思が、激情が、はっきりと胸に迫る内容だった。語ろうとする言葉があれば、演出があれば、絵柄はきっと乗り越えてゆけるんだ。やろう。長い作品、やろう!!

今観れば、ほぼ同じようなことをドン・ハーツフェルトがさらにすごくやっていたわけだけれど(笑)……同じ学生で、しかも一度自分が行こうと思っていた大学の学部にいる方が*1、これほどのものを仕上げて来ていたことに何よりも励まされた。なんだ、ストーリーやってもいいんじゃん! この作品が踏み出していた一歩が、拙作『雨ふらば 風ふかば』を作り上げるときの、ぼくの大きな勇気になったのだ。

同じ作者さんの作品で、何か「幸福な王子」みたいな像が出てくる作品があったんだけれど、それはもうウェブ上にないみたいかな……。(ちなみに明日は、「幸福な王子」をアニメ化した作品を紹介します)

*1:作者の倉岡は東京工芸大学メディアアート表現学科出身。僕のかつての第一志望校だった。