ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『kotonoha breakdown』大橋史【70夜目】

アニメーション作家・大橋史ウィークをお届けしております。今日は、彼のクライアント・ワークから一本抜粋する。これ、久々に観返したら、もしかすると当時以上に殴られたような感覚になった。すっごいわこの作品……。

大橋がこの頃トライし始めた、「キャラクター」を取り入れたアニメーションを作品の中心に据えつつも、彼の得意技である「文字をばらばらのパーツに分割して違う風景を描く」試みがものすごく効いていて、とても心地よい映像になっている。カラフルだし、可愛らしい。とてもハイセンスだ。セロファンのように重なる色はどのカットも美しく、キャッチーな場面の選択も相まって、とても見やすく、初見の方にもよく届く配慮がなされている。またそこをしっかり押さえつつも、見せ場になるようなシーンはばっちり何か所も用意できる手腕は、さすがといった所だろう。サムネにもなっている夜の街のカットは特に素晴らしい。ああ、きれいだ……。

けれど、今回胸打たれたのは、そこだけじゃない。

アニメーションで作られた歌付きのMVって、90%以上のものが、音楽そのものが描いているテーマに「あと一歩」踏み込まない所があると思う。多くの優れた作品の場合、その曲のメッセージをしっかりと咀嚼しつつも、すこしズラして違う物語を描いたり、またより抽象度が高いモチーフを選択したりする場合がほとんどだ。それは、音楽そのものに対するリスペクトの表し方でもあると思うし、あくまで音楽が「主役」であるべき、として制作される、MVのひとつの遠慮のようでもあるのかもしれない。

そんな中で、この作品は、ものすごく『kotonoha breakdown』という楽曲のテーマに直接的に「踏み込んで」いる。その決意も並々ならぬものがあるし、ともすれば押しつけになってしまう試みだけれど……本作はむしろ、だからこそまっすぐ、なおかつ強烈に! この曲のメッセージが胸に飛び込み、火花を散らしながらスパークするのだ。誰もが「伝わる」ことを願っていながら、何一つ心から信じることなんてできない。いつの間にかブレイクダウンした言葉のカケラたちが、日常のカラーレイヤーを何層も切断し、やがてそれすらも破壊して、ばらばらに引き裂いてゆく。迷子になって、抜け出せなくて、それでも電磁波の嵐の向こうに、手を伸ばす――。震災後の「いま」のコミュニケーションを明確に、なおかつ的確に突いた、ものすごく……切ない作品になっていると思うのだ。

作品制作に対する情熱は隠さないけれど、作品自体の温度はきちんと「適温」に保とうとしていた大橋パイセンが、何かしら自身の中にあったその制約をやぶり、超「エモい」内容にしているということ……。そこにも何だかグッと来てしまった。ひとりの作家を追いかけているときの、その特権だともいえる独特のカタルシスだと思う。やっぱり大橋パイセンってエモいんだよ。胸を貫くような切なさが、残像になって心に残る傑作。……こういう問題意識を、ちゃんと持っている人がどれだけいるのかはわからないけれど、それでも。