ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『LIFE NO COLOR』田澤潮【58夜目】

漫画でも、イラストでも、小説でも、音楽でもなく――アニメーションで表現する、ということが、たまらなく「カッコイイ」ことだった時代を象徴するような作品のひとつだ。

『LIFE NO COLOR』自体は4分しかないアニメーションで、描かれる時間軸も短く、構成もシンプル。とても単純明快なボーイ・ミーツ・ガールものになっている。最後の演出がちょっとわかりにくいけれど、ちゃんと気が付くと「あっ!」と思わせてくれるラストには、風が吹いたような感覚が訪れる。……そんな作品だ。

けれど、この頃「自主制作アニメーション」で試みようとされていたことは、それだけに留まらなかった。この作品の真の主役は「街」そのものだ。いざキャラクターの動向を追わずに再度観直してみると、気になって来る箇所はいくらでも出てくる。そもそもこの2つの学校の違いは何なのか?子どもたちはこの下でどうして遊んでいるのか? どういう階層の人々が暮らしていて、治安はどれくらいで、いまこの街では何が起こっているのか? めちゃめちゃ多くの示唆や謎が丹念に織り込まれていて、この4分間を繰り返し鑑賞していると、直接描かれているストーリーを大きく上回る情報量が次第に浮き彫りになってくる。これだったのだ。作家の頭の中で爆発的に描かれてゆく世界・街・ストーリー・設定もろもろが、そんなとてもあらゆる手を使っても描きつくせないような「超すごい」ものが、あえてアニメーションの4分間に、パイロット・フィルムのように落とし込まれる……。その、表現としての熱量とクールさは、多くの鑑賞者や制作者を燃え上がらせた。それが「途方もなくカッコイイ」こととして存在していた時代だったのだ。猥雑な言い方をすれば、たった4分間だけなら『AKIRA』にだって負けないのではないか? そういう希望が、少なからずの人々に伝染していたのだと思う。

ほぼ同時期に吉浦康裕も試みていたような、出始めたばかりの3Dと2Dの融合が目指されたグラフィックも出色。CGアニメコンテストでも受賞しているけれど、個人的にはなんとなく「デジスタだなぁ」と思わせられる作品です。発表は2002年で、制作時期的には『ほしのこえ』とほぼ同じころ、そして『ホーム』の一年くらい先輩。

フリーランスのアニメーターだった田澤潮はこの作品のすぐ後、新海誠の『雲のむこう、約束の場所』のキャラデザ・総作監に抜擢され、そのうねりの中に飛び込んでゆくことになる。