ショートアニメーション千夜千本

短編アニメーション作品を紹介してゆきます。まだ見ぬ作品に触れる機会にして頂ければ幸いです。

『天地』村田朋泰【130夜目】

『木ノ花ノ咲クヤ森』に続く「震災三部作」(この言い方は僕の独自のものです)二作目は、村田のフィルモグラフィ史上でも異質な(たぶん)実験映像的作品として『天地』に結実した。炎が湧き上がり、大地が映され、水が流れて、土を削りその形を変えてゆく様が、実に10分間に渡って淡々と描かれてゆく。

村田の作品はセリフもほとんど用いられないし、「わからない」部分がとても多い。にも関わらず「なぜか、わかる」のがとても気持ちが良くて魅力的だなと思っているけれど、本作はさすがに自分にはちょっと厳しかった。非常にコンセプチュアル、かつ前衛映像的な、ただ自然現象を映してゆくのみの作品になっているので……。けれど、村田が描き出そうとしている「震災」シリーズにおいては、この、人間の力の及ばない、遥か太古の大地創造をめぐる物語について、どうしても入れておかなければならなかったのだろう。あの「震災」が奪い去ったものを、本当の意味できちんと整理するための、ひとつの、確かな事実確認として。

この作品単体で見るという機会はさすがにないと思いますが、シリーズとしては欠かせない作品になるのだろうと思います。

『木ノ花ノ咲クヤ森』村田朋泰【129夜目】


『路』シリーズから10年あまり、村田の待望の新シリーズは、「震災三部作」とも呼ぶべきコンセプチュアルな作品として発表された。その始まりを告げるのが、この『木ノ花ノ咲クヤ森』だ。

歪んだ太陽が照らす灰色の森の中。異形の姿をした主人公がその荒野を進んでゆく。闇を喰らい、あちこちに放置された「かつてあった」気配を探し、寄り添おうとする主人公。一方、防護服に身を包んだ存在たちが、彼の命を狙って執拗に追い回す……。

モチーフになっているのは紛れもなく、放射能が今も残る警戒区域と、そこに放置され今まさに朽ちようとしている人間や生き物の生活の気配たちだろう。「かつてここにあった」気配の中をさまよい、何かを探し続けようとするその姿は、主人公やアプローチを変えつつも、『路』シリーズから変わらない村田の強烈かつ根底にあるテーマとして、本シリーズにも受け継がれている。


この作品は、Galileo Galileiのミュージックビデオとしても発表され、こちらでは『白の路』と同じく抜粋版として編集されている。「HERO」よりも「サークルゲーム」のほうが、いくぶん親切な作られ方になっているかもしれない。

『森のレシオ』村田朋泰【128夜目】


人形アニメーション作家・村田朋泰の、また別のアプローチの作品群についても触れておこう。叙情的で、どこかなつかしい作品を数多く手がける村田だが、本作はそれがちょっと異なっている。真っ白のフェルトや糸で作られた世界に住む少女・レシオと、毛むくじゃらの妖精・ジャモンによるアニメーション・シリーズ。

NHKで放映されていた作品ということもあり、純粋にキュートで、そして謎に満ちた作品になっている。北欧を彷彿とさせる小道具やキラキラした絵作りはとても可愛らしくて、安心して見ることができる作品だろう。誰かに外すことなく薦めるとしたら、この作品かもしれない。

糸を使った舞台設計や、ユーモラスな異形の妖精キャラは、明日から紹介する作品シリーズによってさらに表現として昇華されてゆく。

『家族デッキ』村田朋泰【127夜目】

 

や~~~も~~~良かった~~~!!!アニメーション作家・村田朋泰が『路』シリーズ以後に手掛けた、下町の小さな理容店を舞台にしたミニ・シリーズ。それが『家族デッキ』だ。

ファーストカットから抜群だった。木造の小さな家、やさしく響く環境音。お母さんは二階の窓を開けて、寝坊助のお姉ちゃんを布団の上からポンとたたく。春の日差しと風が吹き抜ける。この、あまりにも自然で、なのに輝いてすら見える「生活」の景色に思わずくらくらさせられた。なんて、なんて瞬間を切り取るのだろう。

この「写真のように美しい」シーンの数々は、村田の確かな技術力によっても支えられている。特に、自然光を意識した照明に惹きつけられた。いとおしく、胸が締め付けられるような、懐かしいにおいのする部屋や廊下、理容室の景色を、そして小さな七福神たちがちょこちょこと動き回る。何でもないお話なんだけれど、余韻は深く、深く、わたしたちを包み込む。

テレビや、インターネットで、もし機会があればぜひ観て頂きたい。忙しかったら、第一話の最初のワンシーンだけでもいい。本当に、言葉さえ失うような、素晴らしいファーストカットなので。

『白の路』村田朋泰【126夜目】

HERO (通常盤)

Mr.Childrenのキャリアを代表するミュージック・ビデオとして、そして55万枚を売り上げた大ヒット・シングル『HERO』のジャケット・アートとして、あまりにも有名な『白の路』は村田の代表作と言えるだろう。だが『HERO』のミュージック・ビデオが、あくまでこの『白の路』の抜粋でしかないことはあまり知られていない。『HERO』が大好きな方は、ぜひ『白の路』の完全版も鑑賞して頂きたい。単純に、尺が、3倍くらいありますので。

傑作『朱の路』の精神的続編であり、その後『路』シリーズとしてまとめられる『白の路』。父と娘をテーマにしていた前作から変わり、今度は男と、幼い日の記憶をめぐる旅が始まってゆく。あの日の少年とすれ違う雪道。共に過ごした、永遠のような短い時間。それほど明るくない午後の日差し、夕焼け、風。生き続けるはずだった命と向かい合い、彼岸まで進み続けるボート。そしてさよならを告げるためのバス――。

何気ない瞬間も混ざっているからこそ、記憶をめぐる旅のせつなさは増してゆく。漂白され、何も出来ず、ただ立ち尽くすしかないとしても、わたしたちは痛みを共にするために進み続けなければならない。断片的で、抒情的で、なぜか同じ「痛み」を記憶の底から引っ張り出されるような、不思議でさびしい秀作。

まず「場」を作り、登場人物に演じてもらい、そこからフィルムの上で起きる「奇跡」を信じようとする作り方は、個人的にはとても実写映画的だなと思う。そこも村田作品が好きな理由の一つです。

『朱の路』村田朋泰【125夜目】

数年前の藝大院の上映に行ったとき、村田朋泰トークゲストで呼ばれていて、久々にこの『朱の路』を鑑賞した。観終えた後、ああ、やっぱりすごい、と思って、魂ごとスクリーンへ持ってゆかれた記憶がある。やっぱり、本当に、圧倒的だった。ただし一方で、いわゆる「見やすい」作品では決してなくて……。村田のフィルモグラフィーはその多くでセリフがなく、基本的にはシーケンスの積み重ねで、明快に物語(この場合は「ストーリー」)が展開することも、また理解の助けとなるような解説が差し込まれることもほとんどない。『朱の路』も、時期を空けながら4回くらい鑑賞している作品だけど、正直、いまだにほとんどの部分が“わからない”。なのに、頭の中で、ちゃんと爆発する。

難解な作品ではあると思う。

杉井ギザブローの『銀河鉄道の夜』を彷彿とさせるような夜汽車、男がひとり窓の外を眺めている。そこへひとりの少女が駆け寄り、男に花を差し出す。すると急に場面が変わって、こんどは土砂降りの沖縄へ。激しく雨が打ち付けるのに、なぜか周囲は晴れていて、そこへ牛車が留まる。男が乗り込むと、その牛車にアップライトピアノが積まれていることに気がついて――。

ヒントが少ないぶん、我々はスクリーンをより凝視しようとする。何か知り得るものはないか、探すように画面を見つめる。すると、男のあの大きな瞳や、手と、自然と心が向き合う。なぜかわからないけれど、その不器用な指がピアノの鍵盤をたたくとき、男が泣きそうな瞳で空を見上げるとき、わたしたちは何かが「判った」ような気がする。細かなストーリーは見えないけれど、わたしたちはそれ以上のギフトを、確かに受け取り満たされる。

後半で「どんでん返し」があって、鑑賞者は一気に物語の全貌が見えたつもりになる。けれど男のその後のアクションに、男が抱えた傷を埋めるような「明確ななにか」が訪れるわけではない。なのにこの作品には、確かにカタルシスがあり、わたしたちは村田から小さな「花」を受け取ることができるのだ。仕組みとしてはちょっと不思議だけれど、見事な作劇だと思う。

「わかったようで、わからない」作品は、この世界にいっぱいある。村田の作品は逆で、「わからないけれど、わかる」のだ。村田がアニメーション界隈を飛び越えて、老若男女さまざまな層から支持され続けているのも、ここにこそ秘密があるに違いない。

『睡蓮の人』村田朋泰【124夜目】

本ブログで主に取り扱っているのは、新海誠彼女と彼女の猫』が登場し、NHK衛星第一で「デジタル・スタジアム」が放送開始された2000年前後より現在に至るまでの日本の「短編アニメーション」についてだ。簡単に整理しておくと、1997年に文化庁メディア芸術祭がスタートし、Macromedia FLASHが日本上陸。新海誠の『彼女と彼女の猫』とAC部の『ユーロボーイズ』*1が2000年。それから2年間で青木純・小柳祐介、近藤聡乃真島理一郎、宍戸幸次郎、「FLASH・動画板」、吉浦康裕、そして大山慶や新海岳人らが続いてゆく。この「インディペンデント・アニメーション」とか「自主制作アニメ」とか呼ばれた作品にまつわる、一連の「どんどんすごい人が出てくる」流れは、実に2014年ごろの石田祐康、ひらのりょう*2、ぬQ、久野遥子まで脈々と続いてゆくことになるのだ。新海誠や「デジスタ」や、青木純や近藤聡乃などがレジェンド的立ち位置になるのは、この流れの先頭を切ったパイオニアであることも大きい。

そしてもう一人、この「大きな流れ」の始祖となった人物を取り上げなければならない。村田朋泰だ。

村田は私大を中退したのち、浪人・再受験を経て東京藝術大学デザイン科*3に進学。その当時から人形アニメーションを手掛け、卒業制作作品として『睡蓮の人』を完成させる。それが、『彼女と彼女の猫』や『ユーロボーイズ』と同じ2000年なのだ。彼は本作で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞し、歴史の表舞台へと姿を現すことになる。

圧倒的な詩情やオリジナリティ、そして(自分の言い方になるけれど)「"映画"感」の濃さ、そして長年にわたり「自身のオリジナル作品」を発表し続けたその姿勢は、正にこの後に続いたあまたの作家たちの「ひとつ上の先輩」といえる存在なのだ。

ところで、どうしてこんなに前段で「流れ」の解説をしたかというと、えっと……『睡蓮の人』は……大昔に見たことあるのですが……内容ほとんど……思い出せなくて……(笑)すみません……。か、カメが可愛いんだよ!でもとにかく、取り上げないのはありえない作品なので……。

*1:デジタル・スタジアム」初代グランプリ作品。

*2:ひらの君はあんまりこの文脈は意識していないかもしれないけれど……。

*3:その当時は藝大院アニメはもちろん、造形大のメディア造形、工芸大のメディアアートといった「デジタルアート」や「アニメーション」を多少学べる学科はまだ存在しない!

『最終ロケット・イェイ&イェイ』内沼菜摘【123夜目】


おととし(2016年度)の日本大学芸術学部映画学科卒業制作*1として発表されたのち、一部の「ファン」によって再度発掘された怪作アニメーション。

実は地球の外で生まれた少女・メルバと、地球から彼女を連れ出した謎の青年・M2が、天文学的な距離をゆく宇宙船の中で繰り広げる会話劇。短めのスケッチを積み重ねた全10話構成の作品になっていて……だなんて、こうしたまともな解説を書く輩がネット上に今のところ存在していないくらい、そこに意識が向かないツッコミどころ満載の展開、セリフ、グラフィック、内容、そしてストーリーだ。デッサンが怪しいキャラクター、意味不明なフレーズが連発される次回予告、シュールすぎる小ネタ、ネジが飛んでるダイアローグ……。これをこのまま発表してしまう(一種の)天然なとことか、同時に読み取れる――作家としてのプライド的なもののパワフルさとか。質感も作風も違うけれど、それこそ井上涼やぬQが最初に登場した時のような、あの「芯の強い感じ」を彷彿とさせる方は少なくないだろう。そういう意味では、もう少し以前のニコニコ動画とか、リニューアルしてすぐくらいの学生CGコンテストなら速攻で面白がってもらえた作品なのかもしれない。これほどのインパクトがある作品なのだが、そこまで話題になっていないのが、ちょっともったいない。

どこまで作家の意志で「うまくいっているのか」はわからないけれど、繰り返し見ていると根底で描かれているテーマも見えてくる。「わたしの居場所はここではない」という想いが生み出す、地球の外まで私を連れ出してくれる王子様の存在について。井上涼やぬQと根本的に異なる点もそこで、ある意味での「ポップ味」がテーマにあるのではなく、作家本人の精神世界へと潜ってゆくような、そんな内省的な宇宙を漂う感じ。そこを味わえるのも、とてもいい個性だと思えた。実は王道のファンタジー・少女マンガな趣きがある作品。本当は大部分が独り言で構成されている、メルバの、ひとりぼっちの宇宙飛行。

ミーム感染も狙えそうな、言葉に出したくなる名セリフが多くて楽しい。ネット上では封印されている第5話、手作りして上映会場でばらまいたらしいDVDには入っているらしいです。

*1:つまり、片渕須直の門下生にあたる。

『ルール』かみやろん【122夜目】

「GIFアニメ」の世界で代表的な作家のひとりだった、かみやろんの代表作。今はもう珍しくないけれど、美少女的なキャラクター・デザイン、ぱりっとした塗り分け、そして女の子の身体のやわらかさまで伝わる上質なアニメートは、当時の他の自主制作アニメーションと比較してもかなり飛び抜けていて、なんか一週回って「COOLさ」を感じさせるものだった。かみやは美大はもちろん、専門学校にも一切通ったことがなく、全て独学でコミュニティの中に飛び込み、技術を身に着けていった作家だった。

GIFアニメの世界にある、一種の「ひたすら一競技にストイックに挑む」ところを保ちつつ、導入部分やごく単純な舞台設定を用意し、そして何より「鑑賞者の心動かす」あの、押すなよ!絶対に押すなよ!なフックをしっかり取り入れたことで、この文脈を知らなくとも、とても見やすいエンタメに富んだ作品に仕上がっている。それでいてかみやの得意分野である、アクションや水の動き、爆発シーンまで抜け目なく入れ込むところも非常にらしいところだろう。真夏の海岸線……という爽やかな舞台設定も、水やアクションの瑞々しさに更にプラスになっているように思える。15年くらい前の作品なんだけれど、今振り返ると、それも込みで一種のノスタルジックになっているのが、いいな……。

『otokogi』かみやろん【121夜目】

このブログはマジで「何でもあり」なので、GIFアニメについても僕が知りうる範囲で取り上げてゆく。美術大学だったり、学生CGだったりみたいなオリジナルアニメーションのカルチャーとはほとんど違う文脈で、テレビアニメや一般大のアニメーション研究会に脈々と受け継がれているオルタナティブな「アニメーション」の系譜が確かにあり、当時の2chで「GIFアニメ職人」と呼ばれていたアーティストたちの作品は、今も探せばごまんと出てくる。かみやろんはその中でも一目置かれていた存在のひとりで、プロアニメーターとしての仕事も後にバリバリこなしてゆくことになる。

この『otokogi』は、かみやろん作品としても、そして「GIFアニメ」という(今の「GIFアニメ」ともまた違うさらにコアで)硬派な競技においてもかなり優等生的な存在だと思う。映画祭にも、ネットのバズにもひっかからずに、それでも毎日競い合ってネット上で(あるいは一般大のコミュニティなどで)腕を磨いていた、彼らの生きた証はここにある。